最近では発達障害についてメディアで取り上げられることも多くなり、スマートフォンやパソコンを使って簡単に情報を手に入れることができる時代になりました。
もしも自分の子どもが「落ち着きがない」「集中できない」「他の子と比べて何か違うと感じる」等と感じた時に検索をすると、発達障害、ADHD、注意欠陥・多動性障害といった言葉を目にすることでしょう。
こちらの記事では「我が子はADHDなのかしら?」「発達障害って?どうしたらいいの?」と思った時にすべきことを、筆者が苦悩した経験を交えながらお伝えします。
子どもの気になる症状で悩んでいるという事実を把握する
「うちの子は発達障害かもしれない」
「なぜ他の子と同じようにできないんだろう」
「なぜうちの子ばかり怒られるんだろう」
「忘れ物が多すぎる」etc…
子どもに発達障害があるなしに関わらず、気になり、発達障害について調べてみた時点で”保護者が悩んでいる”ということは紛れもない事実です。
更に一度気になると「うちの子は発達障害かもしれない」と悩む日々が続きます。
かつての私も「いや、違うかもしれない」「私が考えすぎているのかもしれない」「活発なだけで私が上手く対応できていないだけなのかもしれない」と自分の中で否定し続け、何年も過ごしていました。
悩んでいる時期は心の余裕もなくなってしまいますね。
更にはその余裕のなさから、子どもとの関係が悪化してしまうことも……。
心の余裕を保つために、まずは「子どもの気になる症状で保護者が悩んでいる。困っている」「今、何かしらの助けを必要としている」という事実を受け止め、次の段階に進むことが必要です。
専門機関に相談する
お子さんの気になる点に悩み、「どうにかしたい!」と思うのであれば、まずは専門機関に相談しましょう。
子どもの気になる特性は集団生活に入ってから見え始めることが多く、また、その行動に気付いて悩みを抱える保護者の多くが、真っ先に幼稚園・保育所・小学校・ママ友・親など身近な人に相談しようすると言われていますが、相談したところで返ってくるのは「みんな一緒よ」「うちもそうよ」「大丈夫よ」という言葉だけ。
発達障害というデリケートな問題に「そうね、それは気になるわ。病院へ行ってみたらどう?」なんて答える人はごく稀なのです。
ましてや親の時代にADHDという言葉は存在しておらず、「発達障害かもしれない」と相談しても「親が子どもを信じないでどうする!」と怒られることもあるかもしれません。
幼稚園・保育所・小学校の先生に相談しても「やんちゃなだけでしょう」「ちょっと元気がいいだけですよ」という言葉をかけられるだけだという場合や、落ち着きがないことや忘れ物が多いという事実は認めるけれども、親が褒めれば治まるというアドバイスしかくれないといった場合も……。
学校の先生であっても、発達障害に関して本で読む限りの知識はあるものの、具体的に「どのようなことで子どもが困っているのか」「どのような接し方が必要なのか」ということまで把握し、実行してくれる先生は少ない場合が多く、また、中には「根性がないからだ」「努力をすればできるようになる」「甘えているだけだ」と厳しく怒る先生もいるのです。
- 座って話を聞く時間に教室から飛び出てしまう
- うろうろ立ち歩く
- 学習面での遅れが目立ち授業についていけない
上記のような明らかな「困りごと」がなければ、ちょっと目立つ子、ちょっと手がかかる子で見過ごされてしまう場合が多いのです。
実際に、成長するにつれて「多動」という目立った特性が落ち着いてくる子も中にはいます。
それは経験から「今は座っておかなければならない」という状況を判断することを子ども自らが学んでいくからです。
しかし、ADHDのある子どもの頭の中では
- 情報があふれかえり、情報の整理ができない
- どこに集中していいかわからない
ということが起きています。
その特性についてしっかり評価して診断し、的確なアドバイスをくれるのは専門機関にいる専門家だけです。
正しい対応法を知るためにお住まいの市区町村の子どもの発達相談機関や、発達障害を専門に診療している医療機関などに相談してみましょう。
支援の内容、方向性を把握する
専門機関で子どもに発達障害の診断がついたら、いくつかの治療法を提案されます。
- 薬物療法
- 作業療法
- SST(ソーシャルスキルトレーニング)
- ペアレントトレーニング etc…
主治医が子どもに必要だと判断した治療が行われますが、「それぞれの治療法はどのようなものであるか」「どのようなことが望めるのか」ということをしっかりと事前に確認しましょう。
ADHDには様々なタイプがあり、また、年齢や環境によっても必要な対応法が変わってきます。
我が子の場合、診断がついたのは小学5年生のときでした。
初診の時に先生から「もっと早く来るべきでしたね」とショッキングな言葉をかけられました。
その先生いわく、「今まで培ってきた手段や方法が年齢が大きくなればなるほど構築されてしまっていて、たとえリハビリを行ったとしても大きく行動を変えることは難しいから」なのだそうです。
その場合、成功体験でしか自信をつける療法はありません。
しかし、年齢が低い場合は柔軟に刺激を受け入れて【修正・学習】が行いやすいため、「もしかしたら」と発達障害かどうか悩んでいて受診を迷っているという場合、できるだけ早く専門機関へ相談することをおすすめします。
「子どもにどのような支援が必要であるのか」「何をすべきなのか」ということを主治医によく確認して、自宅や幼稚園・保育所・小学校での過ごしかたを見直す必要があるのです。
我が家ももっと早くに相談をしておけば、もっと穏やかに過ごせていたかもしれません。
幼稚園・保育所・小学校への支援の頼みかた
発達障害の診断がついて治療が始まれば、集団生活でのフォローをどのように学校の先生達にお願いするかということです。
ADHDのある子どもは集団生活において下記のような目立つ行動をとるため、よく先生に注意されます。
- 落ち着きがない
- 人の話を聞かない
- ぼーっとしている
- 違うところを見ている etc…
中には目立たない子もいますが、目立たない子も困っていることはあるはずです。
だからこそ、その子に合ったフォローが必要になります。
このフォローに関しては、【保護者の考え方】【担任の先生の許容力・適応力】をよく話し合う必要があります。
学校では「我が子の特徴を知ってもらい、ある程度は見守りながら難しいところはフォローする」という支援を受けられることが理想です。
もしその理想形がとれそうであれば、ぜひお願いしてみてください。
また、担任の先生に子どものフォローが望めるかどうかの見極めも大切です。
このことについては、筆者も専門機関でも言われましたが「学校に子どもが発達障害であることを伝えるか伝えないかは保護者の自由である」とのことでした。
色々な先生がいらっしゃるので、その辺りも踏まえて、話すか話さないかを決めるとよいでしょう。
我が家の長男の場合は担任の先生には伝えていましたが、次男の場合はまだ伝えていません。
長男は、授業中の気になる態度が目立ち注意されることも多く、先生も子どもも私も困っていたということと、担任の先生が理解ある先生であったので、先生にも伝えることにしました。
次男も本人が困っているタイミングで話すことになるかもしれません。
この「本人が困っている」ということがひとつのポイントです。
学習面や生活面で当たり前だとされていることが、当たり前にできない子どももいます。
(例1)「何か指先に感覚が入っていないと(何かを触っていないと)集中できない」
→「机の裏に人工芝などを小さく切ったものを貼り付けておき、授業中に触っても良しとする」
(例2)「ノートをとることや手紙を出すことを忘れてしまう」
→「ノートをとっているか手紙を出しているかを家庭と学校で確認し、チェック表をつける」
など、家庭と学校との共有ルールをつくることで上手くいくケースもあります。
ただ単に「うちの子は発達障害です」と言うだけでは、先生も困ってしまいます。
専門機関に相談し、「本人がどんなことで困っているのか」「困りごとを解決するためにどのような支援を期待するのか」ということを学校に伝えることが必要です。
その時に一方的にお願いするのではなく、「家で行っている取り組みを伝えて、家庭と学校と同じ方向性で取り組みをする」と伝えると、理解や協力が得られやすいですよ。
将来を見据えた支援・関わりが必要
子どもはいずれ大人になり、社会へと出ていきます。
社会に出たら困らずに生活していける「術」を身につけることが必要となりますね。
最近になって会社の障害者枠で雇用され、発達障害者が自分の得意な分野で活躍されている姿が取り上げられていますが、発達障害と診断された子ども達すべてが障害者手帳を持てるわけではありません。
また、障害者手帳を申請するか、しないかという判断も必要になります。
発達障害は目に見えない障害であり、なかなか理解が得られにくい障害です。
メディアで取り上げられている成功例のように、どこの会社でも発達障害者が歓迎されるわけではありません。
ましてや、「パソコンのスキル」「ものづくりの技術」など、何かしら特化した能力を持っていなければ、組織で活躍していくことは難しいかもしれません。
しかし、社会に出て自立した生活を送るためには、就職して会社に入り、組織の中で生きていかなければなりませんね。
発達障害者は、【コミュニケーション能力】【環境適応力】【問題解決力】といった方面が得意でない場合が多いため、組織の中で活躍していくことはそうそう容易なことではありません。
しかし、その一方で、何か秀でた能力を秘めていることが多いことも事実です。
そのような能力がある場合、その能力を最大限に伸ばしてあげられるとよいですね。
また、友達とのコミュニケーションで困っていることがあれば、「その都度教える」「フォローする」といった子どもの頃からの積み重ねが大切です。
我が家では「約束している友達とは別の友達が誘いに来たとき」「子どもがご飯を食べているときに友達が遊びに誘いに来たとき」にインターホンが鳴ると、「えっ、お母さんどうしよう。何て言えばいいの?」とインターホンに出ずに固まっていることがあります。
発達障害児は想定外のことが起こった時に、咄嗟に臨機応変に対応するということが難しいのです。
💡想定外のことが起こった場合
(例)「とりあえず、インターホンには出る」
→「友達の用件を聞く」
→「すぐに答えが出なければ、『ちょっと待って、玄関に行くから』と断りを入れ、考えてから玄関に出る」
→「事実をそのまま伝える」など、段階を踏んで行動するようにフォローしています。
こういった自分の想定していることとは違うことは、仕事でも生活でもよく起こり得ますよね。
自立した生活をしていくために「生活力」を身につけることが何より大切なことだと、小学校高学年になった我が子をみて強く思うのです。
最後に
我が子の場合、2歳を過ぎた頃から「落ち着きがない、手がかかる」と思い始めたのですが、周りの「みんな一緒」「考えすぎ」「元気なだけ」といった声に流され、真剣に相談をするまでに4年もかかってしまいました。
1回目の相談では「お子さんの祖父母には話されましたか?こういうデリケートなことはお子さんの祖父母の理解も得ないとね」という相談員の言葉に「親に話せば反対されるに決まっている」と心が折れて、相談を進めることを断念したこともあります。
さらに4年が経ち、最悪になっていた子どもと私との関係や学校での生活態度の悪さについて悩み悩んで、やっと「このままではいけない」と思い直して再度相談し、息子が小学5年生の時にADHDの診断を受けたのです。
診断がついてからは「私の育てかたが悪くて、この子はこんな行動をしてしまうんだ」という自分を責める気持ちや「いつまで、朝の用意や子どもの行動のフォローを親がしなければいけないんだろう。過保護すぎるんだろうか」と悩む気持ちから解放され、「この子の行動は生まれ持っての特性なんだ」「できないことは、手伝ってできるようにして、自信をつけることが大事なんだ」と、自分が子どもに対してどう接するべきなのかを自信を持って答えを出せるようになりました。
将来子どもが自立して社会で生活していけるように、子どもが進みたいという道を自分で示すことができるように、【困った時に子どもが選択できる引き出しを増やすこと】【してはいけないことは思いとどまること】を日々の生活で学んでいってほしいと願っています。
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