こちらは、生の声(施設に通い、発達障害の特性によるつまずきを改善することができた体験談)を聞いたうえで考え出した、「発達障害と自立」についてお話ししていくページです。
発達障害は生まれつきの特性ですから、その特性を「完全に消してしまう」と考えるのではなく、「特性をいかして自分らしく生きていく」「困りごとに対する解決法を身につける」といったポジティブな考え方にスイッチしていくことで、自立への第一歩を踏み出すことができると私たちは考えています。
「自立」とは、ある人にとっては「お金を稼ぎ、親に頼らず自分を自分で養っていくこと」であったり、また、ある人にとっては「発達障害のある自分を受け入れること」であったりするかもしれません。
(※ただひとつ、間違えないでほしいことは「自立とは、誰にも頼らず自分ひとりだけで生きていくことだ」と思い込まないでほしいということです。「自分にはできないことを誰かに頼む」ということも重要なスキルであり、決してそれは自立の妨げにはなりません。このスキルを身につけることも、とても大切なことなのです)
それぞれの「自立」に向かって、苦手なことや困りごとへの対応策を見出し、克服・緩和していけるとよいですね。
通う学校を選ぶことであったり、施設へ通うことだったり、ソーシャルスキルトレーニング(社会の中で生きていく上で必要なスキルを身につける訓練)を受けることだったりと、それぞれに方法は違うかもしれませんが、目的(自立を目指すこと)は同じです。
時にはつまずき、悩み、つらい思いをすることもあるでしょう。
しかし、明るい未来を諦めず、それぞれの素晴らしい人生を歩んでいってほしいと私たちは願っております。
📌体験談
下記は実際に施設に通い、発達障害の特性によるつまずきを改善することができた体験談記事です。
(※それぞれクリックすると記事が表示され、内容を読むことができます)
1.息子の進路選択
息子は3歳の時に、公立保育園に障害児枠の園児として入園しました。
一人遊びが好きな息子のために、早くから集団生活に慣れてもらいたいということと、私が仕事復帰をしなければならないこともあり、保育園への入園を決めました。
多動傾向が強かった息子のために加配の先生をつけてもらって、手厚いサポートしてもらいながらの集団生活でした。
しかし、息子には過酷な保育園生活だったようでした。
ADHDと自閉的傾向が見られる息子は、保育園の頃が一番と言って良いほど感覚過敏の症状が強く出ていましたので、保育園内の園児の声や騒音に耐えられなかったようでよく泣いていました。
そこで、少し通常の子どもから離れた静かな環境で過ごさせてあげたいという思いもあり、大分大学教育学部附属特別支援学校へ親子で見学に行きました。
1-1.落ち着いた環境の中で学ぶことができる
入学前に大分大学教育学部附属特別支援学校に見学に行った際、普段の保育園と比べるとあまりの静かさ、のどかさに驚きました。
息子のために選んだ学校は、小学部の定員が1学年3人の特別支援学校。
学年の人数の少なさも大きな魅力でした。
発達障害児は、本人にあった環境の中では思わぬ力を発揮することができます。
しかし、環境が合っていないと力を発揮することがないため「何もできない子なのでは?」と思われる場合もあります。
発達障害児が適切な環境で過ごすことは、十二分な才能を発揮することになることと、学習能力も大幅に変わってくるため、親が思っているよりもずっと重要なことなのです。
1-2.心の安定を第一に考えてくれる
発達障害児が過ごす環境は「本人の気持ちを尊重し、心の安定を第一に考えてくれる」というのが必須条件です。
学校生活が始まったら、新しい環境の中で新しい人間関係が作られます。
しかし、発達障害児には以下のような特徴があり、健常児とも親の概念とも全く違うことが多いため、驚かされることが多々あります。
- 新しい動作をすることが苦手
- 新しい人間関係が苦手
- 環境の変化を受け入れられない
- 独自のこだわりが強い
- 融通が効きにくい
息子の場合は、「小学校に入ったら学校で1日過ごす」ということを理解するまでにも3ヶ月かかりました。
「小学校へ連れて行かれると、いつ家に帰れるのかわからない」という先の見通しが理解できずに、学校へ行っている間中はほぼ泣き続けるパニック状態でした。
朝からずっと泣き通し、泣きながら給食を食べ、嘔吐して少し落ち着く、その後も泣き続け下校時間になるという毎日を3ヶ月過ごしました。
小学校に入学して登校を嫌がるようになることは全く予測していなかったため、親子共々とても戸惑った3ヶ月でした。
しかし、先生たちは「どうにかして心が落ち着いて、1日の見通しが持てるように」と根気よく指導して下さいました。
心の安定を第一に考えてくれる先生がいるということは、本人にとって何より幸せなことです。
本人にもだんだん「この人は自分のことを考えてくれている」ということも伝わっていきました。
この最初の3ヶ月のやりとりで、息子は学校や先生に対しての信頼関係も作って行くことができたのです。
息子と同じ自閉症のお子さんが同時期に公立小学校の特別支援学級へ入学し、同じように登校を嫌がっていたのですが、その学校では特別支援学級に対して加配の先生をつけることができず、保護者同伴での登校をお願いされていました。
いくら子どものこととは言え、子どもと一緒に学校へ行って1日過ごすということは親にとってはかなりの負担になります。
実際に3年間親子で小学校に通っている人も何人もいました。
自閉的傾向でこだわりの強い子どもの場合、知的障害の程度にかかわらずこだわりが強く出る場合もあるので、手厚い対応をしてくれる小学校を選ぶことが大切だと感じました。
1-3.障害の特性を理解した「カームダウンスペース」が確保されている
発達障害児にとって、自分のスペースはとても大切です。
特に気持ちが乱れた時のための「カームダウンのスペース」が用意されていたことは、とても助かりました。
息子が通った大分大学教育学部附属特別支援学校は自閉的傾向のお子さんが多かったので、着替えなどの場所は一人一人のスペースが区切られていました。
学校ではちょっとした気温差や誰かの声などがきっかけで、一気に気持ちが不安定になったり、パニックになったりすることも多々あります。
そんなときにカームダウンすることが出来るスペースがあると、本人の気持ちが落ち着くまでの時間が短くなるのです。
子どもがパニックになると、先生や支援者もうろたえてしまいますが、一番辛いのは本人です。
パニックになると、泣き叫んだり、自傷行為・他傷行為が出てしまったりすることもあります。
パニックの時間を短くするためには、自分と信頼できる人だけになれる環境が必要です。
学校にはカームダウンするための小部屋があったので、パニックになった時は付き添いの先生とともに落ち着くまで過ごすことが出来ました。
時々、カームダウンのスペースを勘違いしている児童デイケアなどで「パニックになった子どもを、何もない部屋に落ち着くまでひとりで閉じ込めておく」という認識をしていることがありますが、これでは逆効果になることも多いです。
大切なのは、カームダウンのスペースで信頼できる先生やサポートスタッフがともに過ごしてくれることなのです。
プロの支援者は、パニックになっている子どもへ過剰な言葉かけもしません。
息子の通った学校の先生たちは、「どうしたの?何が嫌なの?」等の質問は一切せず、泣き続ける息子の背中をトントンと叩いて落ち着くのを待っていてくれました。
「どんな状態も受け入れ、ただ寄り添う事が愛なのだ」ということを深く教えてもらった対応に本当に感謝しています。
発達障害児も、自分に寄り添ってくれているのか排除されているのかは当然感じます。
息子の障害の程度は学年が上がるごとにひどくなっていきましたが、パニックになる回数は格段に減っていきました。
これは、学校でのパニック時の対応と、カームダウンスペースでの接し方が大きなポイントでした。
2.子どもの将来の生活を想定した学習内容
発達障害児を持つ親御さんにとって、お子さんの将来が全く見えないという時期もあることでしょう。
私自身も、息子の将来を思い描くことはできなかったため、小学校入学時の説明会で「子どもさんの将来の生活を想定して、一人でいろいろなことができるようになっておきましょう」と言われて驚きました。
「将来も見えない、一生自分が面倒を見なければならないのでは……」という不安も持っていた中で、「この子たちは将来、入所施設やグループホームで暮らすことになるでしょう。その時、できるだけ身辺自立が出来ていたほうが、本人も過ごしやすいのです」と言われて納得しました。
将来の生活のために役立つことを学ぶということは、息子にとっては算数や国語を学ぶよりずっと大切なことなのでした。
2-1.身辺自立:できないことをできるようにする
発達障害児は、小学生頃までは手先が不器用なことが多いです。
息子も手先を思うように動かすことができずに、全てのことが乱雑になっていました。
特別支援学校では、身辺自立に特に重きをおいていますので、日常の繰り返しの指導を通して根気よく教えてもらいました。
発達障害児は、洋服の着替え、ボタンかけ、着替えた洋服をたたむこと、洋服をハンガーに掛けることなど、ちょっとしたことでもできないことが多いのです。
特別支援学校の指導では、「出来ないことを出来るようにすること」「将来までに出来るだけたくさんできることを増やしていく」ということが日々の学習に組み込まれているため、1日のルーティンの中で身辺自立のスキルを身につけていったことがたくさんあります。
また、目的が達成された時は「できたよシール」をカレンダーに貼っていくなどの視覚支援も利用しながら、課題ができたことが本人の喜びになるように指導してくれました。
一方、公立小学校に通う発達障害児は、どうしても身辺自立が遅れてしまうように感じます。
私自身、公立小学校に通う発達障害のお子さんを見る機会が多く、身辺自立の遅れや、非常に厳しい状況で過ごしていると感じることもありました。
小学校では体育の授業のたびに体操服に着替えますが、体育の授業でみんなと同じように着替えられない、遅くなってしまうなどが原因でいじめが発生することもあるのです。
トイレの後にスカートを巻き込んでしまっていることを気づかずに、そのまま歩いているお嬢さんがいじめられてしまったことも見聞きしました。
「世の中は甘くない」という概念から、発達障害児にも公立小学校の体験をさせようと思われる親御さんもいらっしゃいますし、確かにその考えも一理あります。
その場合は、親御さんが家庭でお子さんの身辺自立をしっかり教え込んでいかねばならないと思います。
2-2.宿泊学習でトータルな身辺自立の学習
息子の通った大分大学教育学部附属特別支援学校では、日々の授業の取り組みとしても身辺自立を重要視している学校で、学校内に宿泊施設が完備されていました。
その宿泊施設を利用し、1日を通してトータルな身辺自立の確立のために、年に2回の宿泊学習が用意されていました。
発達障害児はお風呂や歯磨きも雑なことが多いため、宿泊学習では同性教員がつきっきりでお風呂で体を洗うことも指導してくれました。
宿泊学習は、1日の流れとして必要な身辺自立を全て学習する体験の場でしたので、歯磨きの手順、布団の上げ下ろし、布団カバーやシーツの取り付け、洗濯、洗濯たたみなど、トータル的に組み込まれていました。
息子はこの宿泊学習が泣くほど嫌で、小学生のうちはかなり泣いて抵抗していました。
しかし、だんだん受け入れて行くようになり、学年が上がるごとに宿泊学習が楽しみになって行きました。
年にたった2回の宿泊学習なのですが、積み重ねの体験というものは身についていくものです。
息子は12年間、24回のお泊まり学習を経験し、着替えはもちろん布団の上げ下ろし、シーツ、お風呂での体洗いなどたくさんのことができるようになりました。
この宿泊学習は、学校が子どもに身辺自立をトータルで指導するという目的と、親へのレスパイトの提供でもありました。
初めての宿泊学習の時、先生から「いつもケアしなければならないお子さんから解放された時間を提供する事も目的にあります。普段優先出来ない兄弟児との時間を大切にして下さい。余裕があれば、夫婦で食事に行ったりして下さいね」ということを伝えられてとても驚き感激しました。
宿泊学習で息子は身辺自立の確立をする事が出来るだけではなく、いつも後回しになってしまう兄弟児が両親を一人占めできる時間にもなり、学校側の心温まる配慮に私たち家族も大きく支えられました。
3.自分の得意なことを伸ばす
特別支援学校では、学習だけでなく作業学習が並行して行われます。
学校では様々な遊びの活動を通しながら、働くことの喜びや社会生活に必要な技術を高めることを育ててもらいました。
特別支援学校に通う生徒は、中学部または高等部を卒業したら、いずれかの施設で軽作業をするか、一般企業の障害者枠で働くことになります。
障害児デイサービスなどでも、軽作業をする所が増えています。
働くことに価値を見出せないと、1日を施設で過ごすことは困難になります。
そのため、障害の程度に関わらず「働くことの大切さ」を学んでおく必要があるのです。
3-1.小学部から高等部までの一貫した教育で、得意分野を見つけやすい
小学校入学時は「息子には何が向いているのか」など、皆目見当がつきませんでした。
それどころか「発達障害=何も出来ない子」というレッテルを貼られていることも多いです。
しかし、発達障害児は、やり方がわからないだけで、やり方やコツさえ掴めば他人より丁寧で美しい作業をすることが多いのです。
また、独自の美学を持っている人も多いので、美的センスも独特であることも。
息子が通った大分大学教育学部附属特別支援学校では、中学部では農作業が必須でした。
「農」は障害者の就労先にも多く選ばれる選択肢ですが、「農」が体力的に向いている人には一生の仕事にもなります。
丁寧に畑を耕すこと、雑草を抜くこと、水やり、収穫、選別等黙々と作業することが多く、発達障害児にはぴったりな仕事が多いのです。
息子も農作業を通して、完璧に草取りをすることができる才能に気づかせてもらいました。
大分大学教育学部附属特別支援学校の中学部では、農耕や園芸を中心にした作業学習の中で、作物が出来るまでのプロセスだけでなく、職業生活に必要な基礎的な技能、働く姿勢を身につけることができました。
3-2.卒業後の進路につながるような作業学習
高等部に入学すると、いよいよ将来の仕事について考えながら授業が組み込まれていきます。
息子の通った大分大学教育学部附属特別支援学校では、1日のうち多くの時間が作業学習でした。
空き缶潰し、裁縫、クッキー作り、袋詰め、かご作り、パソコン作業などたくさんの仕事を体験しながら、本人がより集中して作業できるものを見つけていってくれました。
また、1年に2回は受け入れ可能な企業や施設へ現場実習があり、短期間で実際に仕事を体験させてもらう時期もありました。
このお試し期間があるからこそ、向き不向きもよりわかるようになっていったため、とてもありがたかったです。
洗濯畳みが上手だった息子は、クリーニング屋さんでタオルをたたむ仕事を体験させてもらいましたが、クリーニング屋さんの温度と騒音がダメで、かなりのパニックになってしまいました。
これも体験の場を与えてもらったからわかったことであり、好きなだけでは仕事にならないこと、職場の環境と本人の波長が合う・合わないがあるのだと痛感しました。
逆に、「本人には適した環境なのに、そこでさせてもらえる仕事がない」というケースもあります。
そのため、高校三年生の進路決定までにたくさんのことができるようになっていれば、就労先の選択肢も増えていくのです。
学生時代の作業学習を通して、たくさんの作業や手仕事を経験しておくことは、将来の選択肢と可能性を大きく広げてくれました。
最終的には、一人一人の適正に応じた進路先を検討し確保してくれるので、将来への不安は公立学校へ行くよりも格段に少なかったと感じています。
4.人とのコミュニケーション
特別支援学校は個別指導が大きなメリットでしたが、人とのコミュニケーションも指導に入っていたことも大きなメリットでした。
「発達障害があるから、人とのコミュニケーションはできなくて仕方ない」というわけではありません。
発達障害児たちは、生きるうえで人からたくさん助けてもらわなければならないことがあります。
しかし、困っている時に助けてもらえるためには「今困っているのだ」という意思を伝えなければなりません。
そのため、日頃から周囲の人ときちんとコミュニケーションを取ることができていることが重要となるのです。
4-1.挨拶がきちんとできることが重要
発達障害の有無に関わらず、コミュニケーションの第一条件は挨拶ができることです。
息子が在学中に卒業生が就労した施設の方の講演会を聞く機会が何度かありましたが、皆さんが口を揃えておっしゃることは、人とのコミュニケーション、特に挨拶に関してでした。
発語がある人は「おはよう」や「ありがとう」がきちんと言えること、発語がない人はジェスチャーで伝えることなどで、挨拶を通したコミュニケーションがきちんとできるようにしてくださいと言われました。
仕事内容自体は、環境を整えれば覚えることができる人が多くても、挨拶やコミュニケーションスキルを教えるのはかなりの時間を要するので、出来れば学校在学中にできるようになっていてほしいとのことでした。
それまでの私は、「生きて行くためのスキル」を身につけることが最重要だと思っていたため、挨拶やコミュニケーションの問題をクリアせねばならないと聞かされ、大きな衝撃を受けました。
しかし、この世は当たり前に人間社会であり、人と人が繋がる社会です。
「障害があるからコミュニケーションができない」なんてことはないのです。
息子は高等部の頃には、障害の程度は最重度、自閉傾向とADHDが強く混在している状態で、人との関わりも極端に苦手でした。
4-2.社会生活でのコミュニケーション
現在息子は就労6年目ですが、社会生活で必要なのは、必要に応じて適切にコミュニケーションが取れることだと痛感しています。
社会生活や作業現場で、きちんと挨拶ができる人は周囲から愛されます。
たとえ上手に挨拶ができなくても発語がなくても「何かを伝えたい」という意図が伝わるので、人とコミュニケーションを取ることができますし、周囲からも愛されながらサポートされます。
現在、生活介護の場で軽作業をしている息子は、送迎車にて通所しています。
朝のお迎えが来ると、まず挨拶から始まります。
送迎をしてくれるスタッフへ「おはよう」と声をかけることで、本人の「仕事スイッチ」も入るのです。
息子が大分大学教育学部附属特別支援学校で過ごした12年間は、守られた環境の中で心の安定を図りながら、人とのコミュニケーションを基礎から学ぶことができた大切な期間でした。
4-3.子どもの進路選択は「どれだけ成長できるか」を基準に!
発達障害児にとって、今の世の中は生きづらいことが多いです。
息子も、保育園での集団生活は息苦しく、感覚過敏もマックスに出ていてとても生きづらかったと思います。
大分大学教育学部附属特別支援学校に通いながら、たくさんの不具合やつまずきを修復することができて、生きること自体がとてもスムーズになったように感じます。
人は環境に大きく影響を受けますが、発達障害児たちはとても繊細で敏感な分、周囲の影響も大きく受けてしまいます。
イライラした人が多い中では、周囲の怒りの感情をそのまま受けて、自分もイライラしてしまうこともあります。
不安な人が多い中では、人の不安な気持ちを感じ取り、自分も不安な気持ちに取り込まれてしまう、など人の影響を受けやすくなります。
発達障害児の進路は、親御さんが決めていかねばなりません。
本人によってより良い成長が出来る場所を選択してあげることが、親としての大事な役割であり、責任であると私は感じています。
お子さんの小学校選択の際は、本人が過ごしやすい環境かどうか、本人が成長していけるのかどうか、本人の才能や可能性が広がりそうか、などをポイントにして選択すると良いでしょう。
5.まとめ
発達障害の息子が、 大分大学教育学部附属特別支援学校に通いながらできるようになったこと、変化したことをご紹介しました。
1日のうち長い時間を過ごすことになる学校選びはとても重要です。
小さいうちから将来を見据えた生活指導をしてもらえた特別支援学校の指導は、今まさに息子の生活全てを支えています。
特別支援学校での指導は、身辺自立、将来の就労、グループホーム等施設で豊かに生活するための指導だったと確信しています。
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大分大学教育学部附属特別支援学校
〒870-0819 大分県大分市王子新町1-1
Tel:097-543-8317
小学部(1学年定員3名)/中学部(1学年定員6名)/高等部(1学年定員8名)
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1.参加した療育について
[グループ名] 就園児グループ(小集団グループ療育)
[施設・部署名] 区立こども総合センター内 発達支援グループ
[対象] 年長児とその保護者
[頻度] 月2回 降園後1時間程度
[体制] 子ども5名(男児2名 女児3名)に対し、担当保育士1名と心理士1名での療育と、別室で同保護者に対し心理士2名でのペアレントトレーニング
[併用した支援] 同部署内での個別相談(担当心理士1名による親子それぞれのセラピー)
[評価] 個別支援計画書に記載される
2.参加した経緯
2-1.娘の特徴と困りごと
娘は乳児期から敏感で癇が強く、扱いの難しい子でした。
4歳で初めて発達検査を受けた時点では「グレーゾーン」との診断でしたが、現在は「自閉症スペクトラム(主にアスペルガー症候群)傾向」でセラピーを受けています。
[主な特性]
- 感覚過敏
- 服のタグを極端に嫌がる、睡眠が浅く物音や光ですぐ起きてしまう、においや色の変化を気にしすぎる
- 強いこだわり
- 母親以外には滅多に抱かせない、気に入った服しか着ない、予定変更や初めての状況に激しいパニックを起こす
- 完璧主義
- 取り組んでいることが少しでも思うようにならないと長時間泣き喚いて暴れる
- 興味が限られすぎる、集中しすぎる
- 1歳半くらいから知育玩具・パズル・文字・工作などに興味を持ち、やりだすと長時間同じ作業に熱中し、話しかけても反応がなく、食事やトイレも忘れてしまう
- 社会性の低さ
- 家ではおしゃべりが止まらず1日中歌ったりしゃべったりしているが、慣れない人が1人でもいると硬直し無言・無表情になり話しかけられても反応しないか拒否する
- 被害妄想的
- 少しでも嫌だと感じたことは頻繁にフラッシュバックするようで、警戒心が非常に強く、被害的になりがちで自信を失いやすい
- 良好な友達関係を持続させることが難しい
- 「気持ち」「場の空気」がなかなか理解できないため、100%受け身になってしまうか、正論やマイルールを押し通しすぎるかのどちらかで、いずれもトラブルになりやすい
- 音声のみの情報取得・定着が困難
- 何事も視覚化しないとインプットされづらいので、先生の指示や口約束を覚えていられないことが多々ある
2-2.個別療育からの参加
4歳で通所を開始してから1年半、個別のプレイセラピーとペアレントトレーニングを受け、下記の三点が明らかになりました。
- 知的能力の高さにより、基本的生活には対応出来ているが、よく観察するとアンバランスな点が多々見られる
- 大人との2人関係は安定してきているが、同年齢の友達とのトラブルを抱えやすいので、対人関係の構築について療育が必要だろう
- 見通しの持てない状況が非常に苦手なので、就学に際しある程度の支援が必要ではないか
本人が個別療育をとても気に入っていたので、個別と併用して「娘と似たタイプの子を集めた小集団での療育」に参加してみることになりました。
3.実際の内容
3-1.本人が取り組んだこと
[課題の流れ]
1.挨拶、号令、整列
2.座り方
3.手の上げ方
4.発言の仕方
5.係を任される
6.班ごとでの話し合いや制作
7.勝敗のある集団ゲーム
8.全員での合奏
基本的には、学校の教室に近い環境(実際に使用されているような机、イス、ホワイトボード等が配置された部屋/マジックミラーで隣の部屋から観察が可能)で一斉指示や集団行動に慣れる練習をしました。
前半は個々の制作課題を中心に行いながらゲームなどで慣らし、後半は班ごとや全員での活動に取り組みました。
印象に残ったのは、担当の保育士が非常に速いテンポでキビキビと号令や整列などを行なっていたことです。
声も大きく、敏感な娘が怖がらないか心配しましたが、意外にもとても素直に従っていて、毎回「すごく楽しい」とニコニコ顔。
他にも遊びの中で「高速じゃんけん」「高速グーパー」などの練習もしていました。
先生のお話では、「子ども集団のテンポというのは非常に速く、話題も状況もどんどん変わるので、この子達がそれについていくのは想像以上に大変なこと。そのため、療育でも速いテンポを意識し、慣れてもらうことを目的としています」とのこと。
また、「小さい声で長々と指示出しすると聞き取りづらく内容も複雑になって混乱してしまう。聞き取りやすい声で、はっきりと短く具体的に声かけしたほうが理解しやすい。理解が出来れば注意されることも少なくなり、自信につながる。親御さんから見るとやや厳しいような印象を持つ先生でも、子どもにとっては分かりやすい場合もあるので、よく観察してほしい」と仰っていました。
確かに、娘が好んで接する友だちや先生は、本人と正反対の、喜怒哀楽が明確で○か×かはっきりしたタイプが多く、不思議に思っていましたが、相手の気持ちや場の空気を察することが出来ない娘にとって「分かりやすい」とは「安心」に繋がる非常に重要なことなのだと腑に落ちました。
3-2.ペアレントトレーニング
子ども達が療育を受けている様子を窓越しに観察した後、心理士と親御さんでのグループセッションが15~20分程度ありました。
基本的には、個々の問題の相談や、その日のテーマ又は前回出題された課題(宿題)に準じて一人ずつ発言し、心理士のアドバイスを受けてみんなで考えるというものでした。
具体的な内容は以下の通りです。
[第1回目]
内容:療育とは何かの説明
「療育とは、発達を促し、より適応的に生活できるように支援すること」
1.本人のできなさを理解し、その理由を考える
2.スモールステップで具体的なスキルを身につけられるよう支援する
3.「自分はできる」という気持ちを育てる
[2回目以降~最終回]
内容:「好ましい行動を増やし、好ましくない行動を減らす」というテーマに約1年間かけて取り組む。最後に成果を発表し合い、就学以降も療育を継続するか決定する。
1.子どもの行動を「好ましい行動」「好ましくない行動」「危険・許しがたい行動」の3つに分類する
2.心理士と全員でそれぞれの原因と対策をディスカッション
3.療育の場や家庭で具体的なアプローチを行う
4.1~3の繰り返し
個人的には、ここで得たものは大変大きかったです。
夫にも数回出席してもらい、夫婦ともに随分意識が変わりました。
特に収穫だったのは以下の点。
- 早く自立させなくてはと焦って叱るより、一歩ずつ確実に出来ることを増やす方が時短のうえ精神的に楽である
- 褒めることが無い時は、お手伝いさせるなど褒めるチャンスを意識的に作ればよい
- 結果にこだわらず、失敗しても、その過程や、やろうとした気持ちを具体的に言葉にすれば成功体験となる(「おもちゃを片付け箱まで持っていけたね」「今日はにんじんを見ても泣かないでいられたね」「昨日よりも1分長く手をつないで歩けたね」など)
- 本人に向かってあまり大げさに褒めると嫌がるので(プレッシャーになる様子)、本人のいるところで夫や祖母に向かって「今日(娘が)○○できたんだよ」など報告する形式にするのも効果がある
- 専門スタッフと同時に、同じような悩みを持つ親御さん達と話すことができ、視野が広がり情報収集にもなったと共に、「この療育は必要だった、参加して良かった」という気持ちを持つことが出来た
3-3.園・就学先との連携
在籍園や就学先への連携は、センターから積極的に行いたいと言う体制だったので、個別支援計画を共有するための同意書を配布されました。
同意後はセンターと園や学校が直接連絡を取るため、保護者の負担は特にありませんでした。
また、別途「就学支援シート」が区から無料配布されており、そちらにも記載してもらいました。
こちらは保護者から学校に提出しますが、提出者は校長・副校長と入学前に面談をすることが出来ました。
自治体の体制によりますが、私たちの住む区では、現在区内の公立学校全てに通級指導学級は設置されています。
一年ごとの更新で毎週二時間程度、専科以外の時間に個別の授業を受けることが出来、利用には教育委員会就学支援課の認可が必要です。
すでに発達センターで療育を受けた実績があったり、WISK等の発達検査で発達障害と診断されていると話が早いですが、無くても審査を受けて認可が得られればいつからでも利用出来ます。
娘の場合、心理士から「通級の対象ではないが、必要に応じて利用も有りかもしれない」と言われて悩みました。
結局、下記の懸念から、入学時の利用は断念し様子を見ることにしました。
- 日常生活には支障がなかった
- 普通級だけでも手一杯なのに更にタスクが増える
- 人目を気にする性格のためかえって負担になるのではないか
しかし、娘は3月でこの就学支援が終われば療育が終了することになっており、入学後の支援が無くなってしまう状況でした(継続したとしても小2で全ての支援が終了してしまう規約)。
不安に思いながらも様子を見ていましたが、やはり一年生の夏休みに癇癪が酷くなり、スクールカウンセラーからの紹介で、区の教育相談室の方の療育(18歳まで在籍可)に通うこととなり、現在も継続しています。
ちなみに、娘の学校の通級には、ADHD、自閉症スペクトラム、軽度の知的な遅れ、外国籍で日本語が不自由な子など、様々な子が在籍しており、現在は定員に達していて空き待ち状態。
個々の進度や課題に沿った指導が受けられ、ゲームや工作なども多く、本人達も楽しみにしているようで、健常児たちからも「楽しそうで羨ましい」という声が聞かれます。
娘も「通級にいきたい」と言った時期があり、今振り返ると、利用しても良かったのかなとも思いますが、高学年になるにつれ「保健室に行く」と言って通級に来る子も出てくるという話も聞くので、娘にはこの選択で良かったと考えています。
4.効果があったと思う点
4-1.本人について
[就学支援療育前の様子]
- 個別セラピーでは心理士とよくおしゃべりをして積極的に遊んでいた
- 初めての環境や見通しの立たない状況が非常に苦手で、固まったり逃げ出したりとパニックになる
- 幼稚園の大きな集団の中では常に埋もれがちでヘルプサインが出せない
- 友達関係は受動的で自分から誘ったり話しかけたり出来ない
- 外でのストレスが、家での酷い癇癪や体調不良、悪夢を見るなどの形で現れる
[娘への療育のポイント]
- 慣れない環境では消極的になりやすいので、安心して取り組めるようになるまでは大人が援助する
- 小集団の中で発表や意見の交換などの経験を積み、認められることで自信をつけていく
- 友達に自分の意志が伝えられたり、相手の話を聞いたり出来るような、適切な関係を築けるように促していく
- 集中しすぎると周囲へ関心を向けづらくなるので、集団活動に合わせて切り替えられるように促す
[療育体験後の様子]
- みんなの前で先生(保育士)にほめられたり「嫌な時はいつでもお母さんや先生たちに言って良いよ、言えなかったら先生の目を見てくれれば気づくようにするよ」と繰り返し言ってもらったことで安心して取り組むことができ、回を重ねる毎に少しずつ自発的に物事に取り組めるようになった
- 集団への指示理解が高まり、理解出来たことについては役割を理解して集中して最後まで取り組むことができ、自信になった様子であった
- 大人の促しがあったものの、グループの中で自分の意見が言えるようになった
- 後半は、話しかけてくれる友達にニコニコと応じるようになり、家でも療育を楽しみにする様子が見られた
4-2.親の成長
[療育参加前]
- 出来ることと出来ないことのアンバランスさが理解出来ず、「わざとやっているのでは」「やる気が無い」「わがまま」「甘え」など誤った解釈で、叱ったり注意したりしてしまっていた
- 必要以上に周囲の同年齢の子と比べ、出来ない点ばかり気にして自信を無くし、焦っていた
- 娘の出来ない点を周囲に隠そうとしていた
[療育参加後]
- 出来ないことは本人の怠惰などのせいではなく、特質であると理解出来るようになった
- 娘以外にも、同様の問題で困っている子が沢山いることを知り安心した
- 具体的なアプローチの方法や、実践的な対処法を教えてもらったことで家庭で解決出来ることも増え、娘の症状についてもっと勉強したいと思うようになるなど、前向きに考えられるようになった
- 困った時に抱え込まず、専門家に相談することのメリットと重要さを実感した
4-3.周囲の理解の広がり
在籍園ですっかり埋もれていた娘ですが、センターとの連携により、それ以前よりも注目してもらえるようになりました。
特に、それまでは「困ったことは本人からその場で先生に教えてもらえないと対処出来ない」と言われていたのが、先生のほうから「困ってることない?」と話しかけてくれるようになり、「園で嫌なことがあったらおうちでお母さんに言うと思うので、お母さんから園に教えて下さい」という対応に変わったことは大きかったです。
また、祖父母には「この子はどこも悪くない、障害児扱いするな」「親のしつけが悪いからだらしないだけだ」といった懐疑的な態度を取られていました。
しかし、娘の変化や、療育の内容を嬉しそうに話す様子などを見るうちに、良い印象を持つようになってくれたようです。
現在通っている療育についても、「何かあった時に頼れる場所を確保しておいたほうが良いから続けなさい」と言ってくれていて助かります。
さらに、学校に通うようになってからも、療育の実績を共有しているおかげで話が通りやすいです。
先生達は非常に多忙ですし、発達障害について知識の浅い方も少なくないので、「親としてはこう思う」「本人がこう言っている」と言うだけでは取り合ってもらえない場合も多いのですが、「区の教育相談室の心理士にこう言われた」と切り出すと、重要案件として扱ってもらえる確率が高まります。
他にも、信頼出来る親御さんには娘のことを話し、相談に乗ってもらい、愚痴を言い合い、励まし合っています。
頻繁に遊んでいるお友達のママ、同じように発達障害児のママ、医療・福祉関係にお勤めで発達障害の知識が豊富なママなど、母親目線で話が出来るのでとても心強いです。
誰にでも安易に話してしまうと別の弊害(こちらの意図と違う受け止め方をされ、誤った情報や噂を流されたり、イジメに発展する)もあるので、ある程度人を選ぶ必要はありますが、同じ学校内でこういった仲間がいることのメリットは大変大きく、学校外や私の目の届かないところで娘に声をかけてくれたり見守ってくれるので非常に有り難いです。
もちろん課題は次々と出現し終わりは無いのですが、このように療育に通っていることを公にし、必要な支援を求めることで、周囲の意識も変えていけることを実感しました。
発達障害は本人だけの問題ではありません。
周囲の理解を得ることで、本人は勿論、当事者に関わる人々も暮らしやすくなるように環境を整えるのも重要です。
5.今、振り返ってみて
5-1.参加したからこそ今がある
小さかった娘ももう3年生。
当時に比べるとすいぶん成長した部分もたくさんありますが、全く変わらない面もやはりあります。
それはもう特質として付き合っていくしかないので、療育支援で得た技術や考え方をもとに繰り返しアプローチを続けています。
正直なところ、就学支援療育に参加せずに入学していたらと思うと背筋が寒くなります。
勿論、療育に通ったから全てがうまくいったという訳では全くなく、逆に登校のペースが掴める2年生中旬くらいまでは本当に大変で、あちこちに謝罪や説明・弁解に奔走していました。
たとえば、
- ちょっとしたこと(気に入った服や靴下が無い、上着を着たくない、傘をさしたくない、髪型が気に入らない、朝ご飯のふりかけが切れていた、などなど)で行き渋る娘を引きずって毎日送迎
- 放課後はお友達作りのためにママ達と連絡を取り合って遊びに付き添う
- 宿題を終わらせるために悪戦苦闘
- ワガママな子の言いなりになってしまってストレスをためる
- 娘の空気の読めない発言・マイペースすぎる行動・パニックでフリーズする様子を嫌がられたりからかわれたりする
- 疲れが溜まると娘の身体にもじんましん、腹痛、頭痛、発熱など様々なストレス症状が表れる
そんな気の抜けない日々が今も続いています。
だからこそ実感するのは、就学支援療育で、学校生活における最低限のパターンを身につけることが出来たことの有り難さです。
娘の小学校入学後の私には、療育で習ったようなイスの座り方、手の挙げ方、鉛筆の持ち方、班行動のルール、などを教える余裕は全くありませんでした。
しかし娘は、それらの点については「療育でやったからわかった!」と自信と余裕を持って取り組むことができたため、それだけでもすいぶん負担を減らすことが出来たのです。
また、ペアレントトレーニングを受けていたお陰で、娘の起こす問題について(当然その都度落ち込みはしましたが)大まかな見通しをもって対応することが出来ました。
親だけで解決出来る問題か、学校に持っていくべきか、専門家に相談すべきか、などの判断もだいぶつくようになっていましたし、娘が起こす不可解(と思われる)言動もある程度は自分で分析して相手に説明出来る状態にはなっていました。
就学支援療育を受けていなかったら、娘も私も、もっともっとパニックを起こしていたでしょうし、娘の困りごとも強くなり、不登校や二次障害の可能性もあったと思います。
やはり療育は、私たち家族にとってなくてはならないものでした。
5-2.新たな課題と反省点
現在学校にはすっかり慣れ、行き渋りもせず、生活の支障はほぼなくなった娘。
その代わり、どんどん複雑化する友達関係に混乱し、精神的に落ち着かない日々を過ごしています。
私も精一杯出来ることはしてきたつもりですが「もっと早くから、もっと深く発達障害について学んで対処できていたら良かったのに」という想いはぬぐえません。
私自身、今でもまだ全てを受け入れることが出来ている訳ではなく、つい「他の子が簡単にできることが、なぜこんなにもできないの?」などと思ってしまい、焦って娘に強く当たってしまったり、本人の考えを理解出来ずに的外れの言動をしてパニックを起こさせてしまったりと、自己嫌悪に陥ることも多いからです。
今後は、生活習慣等の具体的な問題も継続してはいきますが、より抽象的な問題で悩むことが多くなるため、ますます療育の必要性を感じています。
6.まとめ
現在、子どもの発達障害についての悩みを抱える親御さんは増加の一途をたどっています。
また、大人になってから社会生活に問題を抱え、発達障害の診断を受ける人も多くいらっしゃいます。
自治体によっては、療育も支援施設も通級も空き待ち状態が続いており、適切な支援が受けられていないケースも出て来ています。
私が支援を受けて実感したのは、早期対応の重要さと、問題行動への対処スキルが確実に向上したこと、そして何より、どんな場面でも「専門家のもとで療育を受けてきた」という実績が本人だけでなく親の自信と余裕にも繋がるということ。
特に小学校は、幼稚園・保育園とは大人の目の届き方が全く違いますし、学年が上がるごとに、子ども達の問題に大人が介入することがどんどん困難になって行きます。
担任にもよりますが、心配事や問題はこちらから積極的に相談し対処をお願いしないと、気づいてもらうことは極めて難しいのが現状です。
小学校生活に不安や心配があるお子さんは、是非早急に専門家に相談し、一日でも早くサポートを受けられることをお勧めします。
by. kmtmama
1.アスペルガーと診断された息子が持つ特性
息子は、4歳の頃に自閉症スペクトラム(ASD/アスペルガー症候群)の診断を受けました。
発達検査ではIQ120、知能に問題はありませんが、いくつかの特性を持っています。
- 耳から聞いたことは覚えにくく、理解しにくい
- 主語のない言葉を理解しにくい
- 聴覚、触覚の感覚過敏
- 過去と現在の時間経過を捉えにくい
- 結果を予測することが苦手
- 人の気持ちを想像することが苦手
- 対人関係の距離感がわかりにくい
- 整理整頓が苦手
ひとつひとつの特性に対する対応は、発達障害専門の本から知識を得られます。
しかし、実際には、いくつかの特性が複雑に絡み合い、専門書に書かれている対応だけでは通用しない場合も多いのです。
2.なぜ、息子は小学校で「危険な子」になってしまったのか
小学校進学にあたって、教育センターや病院と話し合いを何度も重ね、知能的な問題がないことや幼稚園では集団生活のルールを守って楽しく過ごしていることから「サポートを受けながら普通級に通うのが良いでしょう」という結論に至りましたが、息子は小学校に入学してから、問題行動を頻繁に起こすようになってしまいました。
授業中にパニックを起こして暴れたり、クラスから脱走したり、休み時間にはクラスメイトと揉めごとを起こすようになってしまったのです。
2-1.問題行動の原因が分からない
学校で息子が問題行動を起こす度に、担任の先生に連絡を取り「なぜ、パニックを起こしたのか?」「どんな状況でトラブルになったのか?」を訪ねました。
しかし、担任の先生からは「何も無いのに急にパニックを起こしました。トラブルの原因は分かりません」という答えばかり。
次第に、小学校では息子が問題行動を起こしても理由が全く分からないことから「発達障害だから仕方ない」と半ば諦めのような対応となり、問題解決にまで至ることはありませんでした。
2-2.孤独感から問題行動はますます悪化……「危険な子」
解決出来ない問題は日々積み重なっていくばかり……。
周囲から見ると、理由もないのに突然怒り出したり、パニックを起こして暴れたりする息子は「近づくと危険な子」と言われるようになり、次第にクラスメイトから敬遠されるようになりました。
クラスから孤立してしまった息子の精神状態は常に不安定。
孤独感が増していった息子はいつも怒り口調で、行動も乱暴になり、人を拒絶し、心を閉ざして、問題行動は悪化していく一方……。
学校も休みがちになり、家では穏やかに過ごすのですが、夜になると「朝が嫌い」「学校が怖い」「先生が怖い」「みんなが怖い」と泣き出して、とうとう「地球から出ていきたい」「生きていたくない」と言うようになってしまったのです。
3.放課後等デイサービスを訪問
息子と社会をどう繋いでいけばいいのか、息子の育て方や社会との連携の方法に悩んでいた私。
問題行動をなんとか止めさせようと、息子を強く叱ってしまったことも多々あります。
「特別支援級に移ろうか? それとも、もう学校自体を辞めてしまおうか? いっそのこと、息子と2人で誰も知ってる人が居ない遠い国にでも行ってしまいたい」と、私の心も閉鎖的になっていきました。
そんな時、藁をもすがる思いで、とある放課後等デイサービスを訪ねたときに出会ったのが、相談支援担当のJ先生でした。
💡 息子の問題行動には理由があった!
J先生は、悲観的に泣きながら息子の状況を説明する私の話に、じっと耳を傾けて下さり、ひとつひとつをメモに取りながら、一切否定することなく受け止めてくれました。
そして「息子くんの行動には、きちんと理由があるんですよ」と目から鱗の見解を示してくれたのです。
息子の問題行動は、複雑に絡み合った特性によるつまずきだったのです!
J先生に相談を重ねていく度に、今までの息子が起こした行動の謎が解けると同時に、絶望していた未来に光が見えてくるようでした。
4.問題行動に対する小学校からの報告とJ先生の見解
息子が小学校で起こした問題行動に、J先生の見解を重ね合わせると、息子の行動にはきちんと理由が存在していたことが分かりました。
実際にあった出来事を元に、息子の問題行動を紐解いていきます。
✔ 急に教室から飛び出し、クラスメイトに暴力を振るう
[小学校からの報告]
授業中にクラス全体がザワついていた為、先生が「静かにしましょう」と全体に注意をした途端、息子は急に泣き出して教室を飛び出してしまいました。
クラスメイトの半数ほどが飛び出ていった息子を心配して、追いかけます。
空き教室に隠れていた息子に、クラスメイトが教室に戻るよう説得しながら息子の手を引いて連れ出そうとしました。
すると息子が怒り出し「どうして怒鳴るの!叩くな!」と叫び、近くにいた子達を叩いたり蹴ったりしてしまいました。
[放課後等デイサービス J先生の見解]
クラス全体がザワつく中での授業は、耳から聞いたことは覚えにくく理解しにくい息子にとって、授業の内容を把握するのに精一杯で、気持ちに余裕がなくなっていたと思われます。
そんな中で、先生が「静かにしましょう」と全体に伝えた言葉を主語のない言葉を理解しにくい息子は、自分だけに言われたと思ったのです。
自分は静かに授業を聞いていたのに、先生から注意されてしまったと思った息子はパニックになり、教室を飛び出してしまいました。
息子のことを心配して追いかけてきた数十人のクラスメイトが息子に教室に戻るよう説得しますが、聴覚過敏の息子には大人数の声が一斉に耳の中に響いて、大音量の不協和音にしか聞こえないため、みんなに怒鳴られたように感じたのです。
さらに、クラスメイトが連れ戻そうと息子の手に触れますが、触覚過敏により強い痛みを感じ、クラスメイトに叩かれたと受け取ったため、反撃に出てしまいました。
✔ 突然、女の子の髪の毛を引っ張った
[小学校からの報告]
休み時間に、息子が女の子の髪の毛を突然引っ張りました。
女の子が居た場所が階段付近だったため、驚いた女の子は階段から落ちそうになりました。
幸い何事もなく済みましたが、危ないところでした。
現場を見ていた先生が息子の行動を注意して、髪の毛を引っ張った理由を尋ねると、息子は「俺に命令ばっかりするから、腹がたった」「うるさいって言ったのに、逃げようとしたから髪を引っ張った」と理由を言いました。
しかし、女の子は「何も言ってないし、逃げてない」と言い、現場にいた子達にも確認をすると「○○ちゃんは何も言ってないし、突然、息子くんがうるさい!って言って髪を引っ張った」と証言をしました。
息子は「命令した!嘘つき!」と怒り出し、髪の毛を引っ張ったことを謝らずに保健室へ駆け込んで、ベッドに潜ってしまいました。
後日、女の子のお母さんに直接謝罪をした際に「うちの子は、意地悪どころか息子くんが授業の用意が出来てなかったりしたときに、面倒を見てあげていました」というお話を伺いました。
[放課後等デイサービス J先生の見解]
整理整頓が苦手な息子の机の中は、いつもグチャグチャでした。
女の子は、息子に「机、綺麗にしなよ」「教科書を出して」「筆箱どこ?」「ちゃんと片付けて」など、息子が出来ていない部分を注意したり手伝ったりして、面倒を見てくれていたのです。
それは女の子の親切心だったのですが、人の気持ちを想像することが苦手な息子は、ずっと口うるさく命令され続けていると受け取っていました。
しかも、女の子がお世話をしてくれていたのは同じグループ活動をしていた時で、1ヶ月以上も前のこと。
過去と現在の時間経過を捉えにくい息子は、1ヶ月以上も前の出来事がフラッシュバックして、たった今、女の子から命令をされていると思ったのです。
腹が立って「うるさい!」と言ってみたものの、女の子が気づかないで歩き去ってしまったため、呼び止めようとして髪の毛を引っ張ってしまいました。
また、結果を予測することが苦手で、階段付近で髪の毛を引っ張ると危ないということまで考え及ぶことが出来ませんでした。
保健室に駆け込んでベッドに隠れたのは、息子なりに自分を落ち着かせるための避難手段。
もう何もかもが苦しいという、心のSOSサインだったのです。
5.特性に沿った対応案で、問題行動が減った!
J先生と息子に合う支援方法を相談し、小学校に改めて息子の特性に沿った対応案を伝えることにしました。
- 誰に話しているのかが分かるように主語をつけてほしい。「みなさん、先生のお話を聞いて下さい」「○○くん、静かにしましょう」等
- パニックを起こしたり、怒ったり泣いたりして気持ちがコントロール出来なくなっている場合、落ち着く場所として保健室を使わせてほしい。落ち着いたあとに、お話をするようにしてほしい
- 対人トラブルがあった場合、相手の話と、息子の話が噛み合わないときは、過去に遡って、息子に何か嫌なことや困ったことが無かったかを聞き出してほしい。
- 無理に触ると痛みを感じるようなので、なるべく身体には触れないでほしい。やむを得ず触れる場合は、事前に「手を握るよ」など声がけをしてほしい。
上記の対応案は、1クラス40名程のクラスを見なければならない担任の先生が完璧に出来る状況ではないことも理解した上で、必要最低限のお願いだけをまとめました。
同時に息子自身にも、次のことをお約束をしました。
- 先生がお話をするとき、自分の名前が呼ばれていない場合は、クラス全体に話をしているということ。
- 気持ちがグチャグチャになって教室を飛び出したくなってしまったら、まっすぐ保健室に行くこと。気持ちが落ち着いたあとは、先生とお話をすること。
- 何か嫌なことや困ったことがあったとき、クラスメイトに直接言わないで、まずは先生に相談をすること。
- 人に触られて痛かったときは「痛いから離してほしい」と、言葉でお願いをすること。
- 叩いたり蹴ったりすると、相手は痛くて怖い思いをするから手を出さないこと。
お約束を伝えたその場では理解するものの、すぐに忘れてしまったり、自分の意思とは別に身体が反応してしまったりすることもあります。
J先生からは「今、出来ていなくてもいい、1年後に出来るようになったらいいなというくらいの気持ちで根気良く伝え続けることが大切」だということを教わりました。
その後、子ども同士なだけに困難なことが山程あるものの、担任の先生が息子の特性に沿ったトラブル解決をしてくださるようになったおかげで、クラスメイトとの関わりでの困りごとや息子の問題行動が徐々に減っていったのです!
6.放課後デイサービスでの様子
J先生と息子に合う支援方法を相談し、小学校に改めて息子の特性に沿った対応案を伝えることにしました。
問題行動を起こす度に、一番混乱して困り果て、悩んで苦しんでいたのは息子でした。
小学校で過ごすことは息子にとって我慢の連続で、楽しい日よりも辛い日のほうが多いのかもしれません。
そんな息子が、心から開放され、楽しさを思う存分味わうことが出来るのは、放課後等デイサービスでのひとときです。
6-1.ありのままの姿を受け止めてくれる先生達
デイサービスでは、おやつの時間、集団または個別の療育時間、お片付け、帰りの会と決まったスケジュールはありましたが、個別の支援計画に必要であれば柔軟にスケジュール変更をして対応してくれました。
息子は、動きたくて仕方ない子です。
運動が得意な男性のY先生は、個別時間をたっぷり使って、息子が「やりたい!」という遊びや運動にとことん付き合い、思う存分に欲求を満たしてくれました。
Y先生は、遊びの中で息子の言動を観察しながら、息子の良いところを「今のいいね!」「優しいね、ありがとう」「さすが!」とたくさん褒めてくれたり、問題行動に繋がるポイントには「こんな風にするといいよ」と声がけをしてくれたりします。
時には男同士の真剣勝負でスポーツやゲームをしたりと、常に全身全霊で息子に向き合ってくれました。
学校で嫌なことや悲しいことがあって不機嫌になっている息子の話をじっくり聞いてくれるJ先生。
息子と同じ目線に立って気持ちに寄り添いながら遊んでくれるK先生。
他にも、たくさんの先生達が息子に関わり、見守ってくれました。
息子は、デイサービスの先生達にどんどん心を開いていきました。
触覚過敏がある息子は、親以外の他者と身体を触れ合うことが、とても苦手です。
しかし、息子はデイサービスの先生達に自ら触れて、抱っこやおんぶをせがみ、ワガママを言ったり、甘えん坊になって赤ちゃん言葉を使うこともありました。
息子は、ありのままの自分を受け止めてくれる先生達を信頼し、心と身体の全てを委ねるようになったのです。
6-2.心の休憩所でバランスを取る
J先生は「息子くんは小学校という社会の中で十分に頑張ってるよ。我慢しなくちゃいけないことも多いから大変だけど、息子くんには、デイサービスは頑張る力を抜いて、ありのままの自分で居られる安全な心の休憩所なんだと思ってほしいです」と仰ってくれました。
放課後等デイサービスを利用することによって、息子は「小学校にいる時の自分」と「ありのままの自分」のバランスが保たれ、気持ちの切り替えやコントロールがだんだん上手に出来るようになっていきました。
6-3.本当に必要な支援とは
J先生は、人との距離感が分かりにくい息子の特性を生かして、デイサービスを利用している年上のお友達や、年下のお友達との関係性を繋いでくれました。
息子は、人との距離感が分かりにくいからこそ、人見知りすることなく、ずっと前からの知り合いだったかのように無邪気に話しかけたりすることが出来るのです。
時には、デイサービスのお友達と息子が喧嘩をしてしまう日もありました。
先生は怪我がないように見守りつつ、どんな風に喧嘩のやり取りが進んでいくのか観察しながら間に入り、双方の気持ちを代弁しながら関係を修復していきます。
そして、不思議なことに、息子は信頼している先生に注意を受けても素直に聞くことが出来るのです。
息子は「デイサービスの先生に注意されることはあるけど、怒られたことは一度もないよ」と言います。
どういうことなのか息子に尋ねてみると「駄目なことを教えてくれるのが注意、怒ってるのは何を言ってるのか分からないし顔が怖い」と答えました。
「注意されること」と「怒られること」は違う……息子は、相手の様子や感情をしっかり見分けていたのです。
私は、放課後等デイサービスで過ごす息子を見て、発達障害の特性を改善することばかり考えていて、息子の本当の姿を見失っていたことに気付かされました。
問題行動ばかり起こしていた息子に、本当に必要だった支援は、特性の理解や対応策ばかりでなく「本物の信頼関係」が何より一番大切なことだったのかもしれません。
7.最後に
現在、息子は思春期真っ盛りの中学生となり、青春を謳歌しています。
反抗期も到来して難しい年頃ではありますが、小学生の頃から放課後等デイサービスの先生達と積み重ねてきた信頼関係が土台となり、息子の心は強く逞しく育っています。
我が子が大きな壁にぶつかったとき、親子は愛情の距離が近すぎて共倒れになってしまうこともありますが、そんな時は、放課後等デイサービスをはじめ、あらゆる福祉関連の施設に「助けて下さい」と救いを求めて下さい。
きっと、壁を乗り越える突破口を一緒に考えてくれるはずです。
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取材協力:たくあいアクティビティ「むぅ(夢)」
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by.sara