ADHDには
・不注意(集中力がない)
・多動性(じっとしていられない)
・衝動性(考えずに行動してしまう)
の3つの症状があります。
私の娘は、5年生の時に担任の先生からADHDではないかと言われ、スクールカウンセラーの相談を勧められました。
他人からADHDを指摘されたのは初めてでしたが、正直な事を言うと「そうではないか?」という不安は常に付きまとっていました。
幼稚園の授業参観や運動会での様子、お買い物に行った時の様子、お友達との関り方など
先生や周囲の方に相談しても、理解されない事もたくさんありました。
本記事では、
・私の娘が小さい頃から先生に言われた事に対してどのような対応をしたか
・ADHDの勉強をして強く思う事
・勉強により、私の世界観が変わったこと
をご紹介しています。
私の娘が小さい頃から先生に言われたこと
・一人だけ他の子と同じ行動が出来ない
・お片付けが出来ない
・授業中、娘の周囲には沢山の娘の鉛筆が落ちている(落とし物入れの中には、娘の物が沢山入っている)
・自分の世界を持っていて、常に空想にふけっている
・忘れ物がとても多い
・基本的に話を聞いていない
・耳元で話かけても、聞こえない or 聞いていない
・一人っ子で過保護だから、自分では出来なくなってしまった
・集中出来ないのは、勉強をする環境が整っていないから
・何をするにも時間が掛かる
など、その他にも沢山言われてきましたが、その都度なぜこんなに出来ないのだろう?と。
親のしつけが出来ていないと言われれば、厳しくし、大きな声で叱り、親子で泣いた事もありました。
「自分のしつけが悪いんだ」と、ただただ反省と自己嫌悪を繰り返すばかりでした。
そして、時々頭によぎるADHDの文字。
詳しくは知らないけれど、注意力や多動が関係しているのであれば、もしかしたらその病気なのかもしれない。
恐る恐るインターネットで検索すると、極端な例が目に付き、「うちの子は違う!」と目をそらし。
「病気ではない」という願いと、「病気と診断されたらこの子の人生は終わってしまう」という思いから、「ADHD」というワードをシャットアウトしていました。
それでも、一度思い切って病院で診てもらおうと、県内の病院を調べた事もあります。
しかし、対応している病院は精神科であったり、とても大きな総合病院だったり、医大だったりと、敷居の高いものばかりで、簡単に相談の出来る場所も無く…
主人にさえ「娘が病気ではないか」なんて言えば怒られそうで、ちゃんと向き合って相談する事ができず…
結果、一人で悩み続ける毎日でした。
とても勇気が必要だったスクールカウンセラーとの面談
スクールカウンセラーとは、学校で生徒の心の悩みに対応する専門家を指します。
スクールカウンセラーとの面談は、初めてだった事もあり、とても勇気が必要でした。
何かとんでもない宣告をされるのではないか…
これから一気に何かが変わってしまうのではないか…
と、不安でいっぱいでした。
でも、実際は全く違い、私の話を聞くことからスタートしてくれました。
緊張で体も心もこわばっていましたが、最初に私の気持ちに寄り添って頂けたのは大変ありがたかったです。
また、カウンセラーからも、多くのお話が聞けました。
自閉症には様々な種類があり、今現在悩んでいるお子さんや親御さんはとても多いこと。
先生のお子さんもADHDだが、現在は教員をされているということ。
ADHDには遺伝要因もあるということ。
とりわけ驚いたお話が、「天然の方の多くはADHDである」ということ。
実は、私は昔から天然と言われ続けていたのです。
そのことをお伝えすると、
「それでもお母さんは立派にお仕事されて、ご結婚され、子育てもしっかりされているじゃないですか。
お母さんの様にちゃんとした大人になりますよ。安心して下さいね」
と言って下さいました。
沢山のお話を聞き、涙が止まりませんでした。
すると、カウンセラーから「なぜ涙を流したのですか?」と聞かれたので
「正直、娘の将来は暗いのかと思っていた」と答えると
「立派になられた方は沢山おられます。ADHDだから出来る事だってあるのですよ」
と話して下さいました。
一口に「ADHD」と言っても、「この症状はない」とか、「これは強く出ている」など、その症状は人それぞれ。
もちろん、対処法も違ってきます。
先生から、娘の症状を把握するためにも、まずは県の福祉センターの受診を勧められました。
但し、予約は半年以上先になるとのこと。
ADHDと診断されたからには、一刻も早く適切な対処をしたかったのでとても残念でした。でも、無理なものはしょうがありません。
そこで、「誰かに頼る前に、親の私が知識を付ける事が大切だ」と思い、とにかく知識を付ける事を決めました。
< 管理人の意見 >
こちらの記事でスクールカウンセラーは「ADHDには遺伝要因もある」と言われています。
しかし、一方で「遺伝的な関与は分かっていない」と掲載されているサイトもあります。
【 遺伝的な関与は分かっていないと掲載されているサイト 】
LITALICO 発達ナビ https://h-navi.jp/column/article/128
【 遺伝的な関与があると掲載されているサイト 】
ヘルスケア大学 http://www.skincare-univ.com/article/015904/
娘の症状別に母親として出来る事を考えてみました
ADHDの勉強をすることを決意した私は、沢山の本を購入しました。また、多くの図書館も巡りました。
本を読み進めていくと、私自身多くの誤解があったこと、著者や年代によっても解釈が違うことがわかりました。
勉強すればするほど、「ADHDは難しい病気であり、まだまだ研究の途中である」という結論にたどり着きます。
研究途中ですので、もちろん「こうすれば正解」というものはありませんが、母親として症状を和らげられる対応はないものかと模索しました。
まだまだ試行錯誤の段階であり、いまだに症状を改善できず、どうすれば良いか分からない事もありますが、現時点で母親として取り組んでいることをご紹介します。
一人だけ他の子と同じ行動が出来ない
これは衝動性の一種だそうです。
娘は周囲の空気を読んだりする事がとても苦手で、思った通りに動きます。
お買い物に行ってもふらっと居なくなることもしばしば。
毎回注意しましたが、これはいまだに治っていません。
また、衝動性からくる症状として、計画的にお買い物する事も苦手です。
我が家では対策として、お小遣い制とお小遣い帳を導入しました。
お小遣い制にすることにより、「お小遣いがなくなればもう買えない」という感覚を、その感覚から購入前に一旦冷静になることを養ってくれればと願っています。
また、お小遣い帳は衝動的なお金の使い方をしていないかを振り返ることができるので、とても有効だと思います。
お片付けが出来ない
娘を見ていると、何か一つに集中すると周囲が汚れている事さえ、気が付いていない事が多い様に思います。
その都度、根気強く声を掛けてあげるように心がけていますが、なかなか難しいです。
授業中、娘の周囲には、沢山の娘の鉛筆が落ちている
鉛筆を落とす→後で拾おうと思う→そのうち忘れる→鉛筆が無いのに気付き新しいのを出す→また落とす→後で拾おうと思う→そのうち忘れる
診断を受けてから、この繰り返しだったことが分かりました。
これは、ADHDの症状の1つである「不注意」が大きく影響しているようです。
これに関しては、「後で拾う」のではなく、「今すぐ拾う」ことを心掛けさせ、改善したように思います。
しかし、「不注意」の症状は娘の場合は強く出ていたようで、他にも多くの弊害がありました。
例えば、忘れ物をしたり、話を最後まで聞けなかったり、ケガをし易かったり…
生傷は小さい頃から絶えず、自転車に乗る様になってから更に増えた気がします。高学年になれば彫刻刀を授業で使用しますが、指を深く切り、形成外科にも行きました。
ケガは特に心配ですから、交通ルールについてなどは口酸っぱく話しているつもりですが、何もないところで転んだりと、予期せぬ状況でのケガが多いので、どのように対応すべきが思案中です。
自分の世界を持っていて、常に空想にふけっている
基本的に話を聞いていない
耳元で話かけても、聞こえない or 聞いていない
自分の世界がしっかりあり、常に空想にふけっている。
良い方に行けば、芸術関係や物語を書いたり、絵を描くお仕事で能力を発揮出来るかもしれません。
ただ、小学校のお友達付き合いの中では、弊害になっています。
忘れ物がとても多い
現在もとても困っています。
登校前に全て確認しても忘れ物をします。
どうやら、書いていない物だったり、持って行っても提出を忘れたりしているようで…
前日に一生懸命宿題をやったのに、提出しないで帰って来るので忘れ物。これには参ってしまいます。あの一生懸命やったプリントは何だったんだろうと…
また、逆に学校に置き忘れたまま下校することもあります。帰宅後、プリントを取りに行ったりなど学校と家の往復もしばしば。
そんな忘れ物対策には、常にメモする事です。
メモをしてあっちこっちに貼っておく。私も娘にこれを実践する様にしています。
これは普通の人でも大きくなってからも役に立ちますし、とても良い方法だと思います。
但し、朝着て行った服を学校に置いて来るなどに関してはメモしていないので治りませんが…
一人っ子で過保護だから、自分では出来なくなってしまった
これは結構悩みました。いえ、悩み続けています。
確かに他の子より手を掛けている様に思いますし、一人っ子なので手が掛けられます。
主人からも「手を掛け過ぎて子育てをして来たのではないか。自立を促さなかったからだ。」と言われました。
しかし、控えめに声を掛けると何も出来ないし、忘れ物もします。
周囲からも「高学年だからしっかりしないと…」と言われます。
「自分の間違った子育てのせいで、何も出来ない子に育ってしまったのではないか。どのように促せば良いのか」
相談出来る所も無かった頃は本当に辛かったです。
一番気持ち的に楽になったのは、正直、ADHDと診断された時だった気がします。
難しいのは親も自閉症スペクトラムだった場合、親も努力が必要
カウンセラーの先生に「私自身も自閉症」と指摘され驚きましたが、振り返ると思い当たる所が多々あります。
実際に小学校の頃は友達は少なかったですし、学校もあまり好きではありませんでした。自分の中で決めたこだわりは絶対に譲れなかった事が多く、友達と衝突することもありました。
私はどちらかと言えばアスペルガー系なんだと思います。
ただ、大人になるにつれ段々薄れて行く事が多いらしく、私も今となっては普通に人づきあいもしますし、働いています。
しかし、根本的な考え方・着眼点が親子で似ている場合は、子供の症状にも気づきにくかったり、同じことが同じ様に出来ない事もあるようです。
そういった点では、担任の先生から指摘を受けたことを今となっては感謝しています。
ADHDを勉強することにより、変えることができた世界観
ADHDを勉強して救いになった説があります。
それは、「ADHDの子供の精神年齢は、実年齢の3分の2くらい」という説。
娘が初めてスクールカウンセラーの面談を受けたのが小学5年生。つまり当時の実年齢は10歳ですが、精神年齢は6歳~7歳だというわけです。
その説を知ってから、同年代の友達と比べてとびぬけて出来ていなくても、「出来なくて当然」とさえ思えるようになりました。
「出来ないことが、娘の個性」と。
但し、もちろんそれは私の中では通用する事であって、周囲のお友達や学校では通用しません。
その学年に合った行動がを求められますし、しっかりと叱られます。
お友達は下校後も遊ぶ約束をしているのに、娘はその様子もなく・・・
学校でも一人で過ごしている事が多いようです。
どうやら娘は、1対1だとお友達との会話もスムーズに出来るけど、2人3人と増えると自分の話すタイミングが一気に分からなくなり、そのうち何の話をしているのかさえ分からなくなってしまうそうです。
ADHDの子は、雑談が苦手とも言われていますが、娘はまさにその典型なのでしょう。
この話を聞いて、以前の私なら胸が締め付けられ、「娘は今幸せなんだろうか」と悩んでいたと思います。
しかし、世界観が変わった今では、
そのように考えることは娘にとっても良い影響を与えないし、何より娘に対して失礼と思うようになりました。
娘の人と違った所を「個性」と受け止めることは小学生では難しいかもしれませんが、成長につれきっと理解してもらえると信じています。
もちろん、親ですから胸が締め付けられる時も多々ありますが、自分自身が良い見本になろうと切り替えています。
診断前はADHDと診断される事がとても怖かったのですが、実際は診断されたことによりとても前向きな気持ちになれ、良かったと思っています。
色々なトラブルに対しての対策もありますし、病気だと分かっているおかげて叱る事も随分少なくなりました。
叱るのではなく、育てて、フォローする。勿論、駄目な事は駄目とちゃんと伝えます。
ただただ駄目な子ではないんです。
周囲も理解を深めて早めに気づいてあげれたら、本人の為、その周囲の家族の為にも良いのではないでしょうか。
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