【amazon評価】★★★★★★★
2015年に、モデル・俳優の栗原類さんが発達障害のADD(注意欠陥障害)だと告白されました。
活躍している芸能人が当事者であることをオープンにしたのは衝撃的でしたし、併せて、発達に偏りのある我が子の道が開けていくような、希望の光も感じました。
それ以降、テレビで発達障害の特集で体験を語られる場面をよく目にしていたので、著書が出ると聞きとても楽しみに買った一冊です。
内容は、栗原類さんの幼少期から現在までの体験を中心に、母親でありADHDの当事者でもある栗原泉さん、親子ふたりの主治医である高橋猛さん、そして栗原類さんの友人である芸人・作家の又吉直樹さんの四人の声で構成されています。
栗原類さんは、子どもの頃から物音に敏感で「良い音」「悪い音」の違いがはっきりとしていたそうです。
発達障害児の中には、このように知覚に過敏さが認められる子が多くいます。
我が子も五感すべてが敏感で、赤ちゃんの頃から、床が軽くきしむ音でも眠りから目覚めて大泣きしてしまうほどの敏感さを持っています。
また、音楽の授業で児童がバラバラに弾く鍵盤ハーモニカの音に耐えられないとも言っていたので、栗原類さんの苦手とする音の種類と近いものがあるように感じました。
また、冒頭で栗原類さんの特性が大まかに列挙されているのですが、注意力が散漫で忘れ物が多かったり、ふたつの事が同時にできなかったり(いわゆるマルチタスクが苦手)ということなど、息子に重なる特性がとても多いような気がして、夢中で読みました。
8歳のときに住んでいたアメリカの小学校で、生活や学習の様子を見ていた先生から発達検査を勧められたそうです。
アメリカの発達検査は日本の進め方とはまた違ったもので、医者や心理士以外にも様々な見解や経過観察、意見を交換して、総合的に子どもがより適切な支援を受けられるように判定されます。
その判断過程で専門家と話を進める中、お母さん自身もADHDであることが判明したそうです。
ただし、発達の偏りを同じように持つといっても、母子がそれぞれの特性には大きな違いがありました。
比較的色々なことに対しての吸収力が高く、勉強もよくできた栗原泉さんからすると、すぐに物事を忘れてしまって失敗を次に活かせない栗原類さんをどう導いていけばいいのか分からず、たくさんの迷いや戦いがあったようです。
育てられる子ども、育てる親、両方からの視点で書いてある本はこれまでにあまりなく、両方がそのときにどう感じていたのか、そして過去を振り返って今どう感じているのかなど、自らの親子関係を考えるときにとても参考になりました。
発達凸凹のある子どもを育てていて実感するのは、親のエネルギーが果てしなく必要だということです。
もちろん子どもの特性にもよるとは思うのですが、発達に偏りのある人は曖昧な指示を出されることが苦手です。
指示の出し方ひとつでも、激しいパニック(数時間泣き叫ぶなど)を招きかねません。
そのため、より具体的な言葉で本人の理解に合わせた説明をすることが好ましく、指示を出す側のパワーと理性が通常の数倍は必要になります。
また、それが一日の中で何度も繰り返される大変さは、やはり日常的に世話をする者にしか分からない感覚だと思います。
近年、発達障害当事者が書く体験談は多く出版され始めましたが、親の立場からの、想像を絶するような苦労を世の中に発信してくれるこの本には救われる思いがしました。
そして、社会性が乏しい発達障害当事者にとって「友人」という存在はとても貴重なものです。
又吉直樹さんが普段どのように栗原類さんと接していて、お互いの存在をどう感じているかなど、とても興味深く読みました。
また、母子の共通の主治医である高橋猛さんの声も載っているため、社会の中でどう生きているか、どう存在しているか、そして、これからどんな事を課題として生きていくかなどが立体的に表現されているとても良い本です。
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