【amazon評価】★★★★★★★★
中学生のときに出版されたという『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』の続編で、高校生になった東田直樹さんが書かれた本です。
NHKで放送されていた東田直樹さんの密着ドキュメンタリー番組を観たことがあり、会話も困難な自閉症の当事者だということを知りました。
番組では語りきられることのなかった日常生活の中では、どのような物事の感じ方や暮らし方をしているのかという興味が湧いて購入しました。
私自身の経験として、電車やバスに乗った時などに、運転席や車窓を眺めながら自閉症当事者が雄叫びをあげている姿や、規則的に同じような言葉をひとりで話している場面は度々目にしたことがありました。
「彼らはどのような気持ちなのだろう?」と思っていましたが、そのような場面についても心理状況がこと細かに書かれています。
ひとつひとつの雄叫びや行動については、当事者にとって真剣な理由がある場合と、意思とは関係なく言葉が出てしまう場合があるのだと知って、「なるほど!」と、参考になることばかりでした。
また、テレビ番組に出演されていた発達障害をもつ有名な女性ピアニストも「人の顔がのっぺらぼうのように見えて、覚えられなかった」と苦労話をされていて驚いたことがあるのですが、東田直樹さんも場所が変わるとその人が誰なのか認識できなくなると書かれていました。
我が子は発達凸凹や困り事がたくさんありますが、人が認識できないという特性はないため、その概念は当事者に日常的に触れていなければ感じ取ってあげられない困難さは、とても勉強になりました。
しかし、我が子と困り感が100%異なるかと言われるとそうではなく、重なっている部分も多くあることも発見でした。
例えば、写真を撮るときにカメラのレンズを見続けながら集中し続けるのが苦手なこと、姿勢を保持してじっと座っていることが苦手なことなどです。
外から見て、全くタイプが違うように見える東田直樹さんと我が子でも、やはり当事者にしか分からない困難や、自閉圏特有の過ごしにくさ、配慮しなければならない点は、似たところもあるのだなぁと改めて感じました。
そして、個人的に一番ためになったのは『第七章 援助』です。
発達の偏りがある子どもと生活する中で一番知りたいのは、周囲がどのような工夫をすれば当事者が過ごしやすくなるのかということです。
発達の偏りがあると分かっていても、当事者が赤ちゃんや幼児などであれば、言葉や態度で明確に不快さを表現してもらうのは難しいことです。
そのため、当事者が自らの言葉で発信している、不快さや快適さなどの感覚や気持ち、支援方法の希望などについては、とても貴重で重要な情報だと感じました。
周りの工夫次第で本人が取り組みやすくなるならば、物の場所や手順を絵カードで表記すること、気が散るものをカーテンで隠すなどの視覚支援を意識した環境づくりはとても大切なことです。
そのような構造的な支援を前提とした上で、声を通して言葉で説明や指示をし続けることが、支援者との信頼関係や当事者の自信に繋がっていくのだと強調しておられるのが印象的でした。
また、「大騒ぎ」(ギャーギャーと声をあげる)と「パニック」は東田直樹さんのなかでは明確に違うものである、という説明も興味深く、当事者にしか知りえない情報がたくさん詰め込まれています。
イラストは少なめで文字を中心にした本ですが、ページに余白が多く、細かく項目が分かれているためとても読みやすく、短い時間で読み切れました。
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