【体験談有】ADHDの母に育てられて。

母娘

私が伝えたいことはひとつ……、もしもあなたが発達障害者であっても当事者の家族であっても、『そこに愛があれば、相手を思いやる気持ちがあれば、必ず伝わる、傷ついてきた心も癒える』ということです。

そして、ADHDという特性を持っているからこそ「他の人にはない能力」があることを、当事者の娘として強く感じてきました。

イライラするとき、喧嘩の日々、分かり合えない時間もたくさんありました。

しかし、家族にしかできないことがあります。

家族にしか、わかってもらえないこともあるのです。

予定がコロコロと変わる…衝動的に行動する母-『期待』をやめた小学生時代

喜怒哀楽私の母はADHDの特性から、予定していた内容が突然変わったり、順番が変わったり、思いつきで行動することが多く、コロコロと変わる度に、私たち家族はいつも振り回されていました。

休日に「〇〇に行こうか」という話になっていても、当日に突然「お母さん△△をやっちゃいたいから、お父さんと行ってきて」と、母だけいないということは頻繁にありました。

「いつのまにか家に居ない」「どこに出かけているのかもわからない」ということも多々。

「〇〇しなきゃ!」と思い立ったら吉日のようで、すぐに飛んで行ってしまう。

そうなると、そのころ小学生だった私は、徐々に母に期待することをやめてしまったのです。

この記事を読んでいるあなたにも「わかる!」と共感していただけそうなエピソードをひとつ、ご紹介します。

買い物それは、お店に買い物へ行くときのことです。

「〇〇を買いに行く」ためにお店に行ったのに、なかなか「〇〇」が売っている場所にたどり着けない。

「〇〇」が売っている場所に行くまでの道のりで、母は、他の売り場で売っているものが気になったり、買う予定でなかった物の商品説明をじっくり読んでいたり……、結局、自分が先に「〇〇売り場」まで行き、何種類か持って母がいるところへ行って母が選ぶ、ということが往々にして起こります。

これはADHDの特性である『衝動性』や『不注意』からくるものであり、決して本人に悪気があるわけではないのです。

家族はその特性に振り回されてくたびれてしまうこともありますが、その特性を知り、理解することが大切です。

特性として受け入れることができると、本人に『やることリスト』を渡したり、注意を促したりといったサポートをすることができ、買い物をスムーズにおこなうことができるようになりますよ。

絶えない夫婦喧嘩:どうして「思わず言ってしまう」のか?-原因はADHDの「衝動性」だった

夫婦喧嘩前述の予定がコロコロ変わることは、自分がそれに対応していけば良いのですから、娘からしてみたら大したことのないストレスでした。

娘の立場から、最も嫌だったことは両親の「夫婦喧嘩」でした。

原因は父にあっても「衝動性」ゆえ母の立場が悪くなる

夫婦喧嘩いつでも、喧嘩の始まりは、母が“思わず言ってしまう”「文句」でした。

母は喧嘩を売っているつもりはなかったのかもしれません。

しかし、衝動的に「どうして〇〇しちゃったの!」「△△のつもりだったのに」と言ってしまい、そして衝動的に、相手の人格を否定するようなことまで口走ってしまう。

あとから涙を流して反省する心を持っているのに、頭の中を怒りが支配しているときは衝動を抑えられないようで、言ってはいけないことを言ってしまうのです。

娘から見ていて、ADHDの母と父の喧嘩はとても切なく、つらいものでした。

喧嘩の原因は父にあっても、母の「衝動性」が原因で、最終的に母が謝ることになることが多いのです。

喧嘩の原因は父にあるのに、です。

たとえば、「父が〇〇し忘れていた」といった場面。

夫婦喧嘩ADHDの母にとって、時にそれはパニックを引き起こすものであり、衝動的に「なんで忘れるの!? 信じられない!!」という怒りを、罵声で、鬼のような表情で表現してしまうことがありました。

ADHDの特性である「衝動性」が強すぎて、最終的には周りにいる誰もが「何も、そこまで怒らなくてもいいじゃないか」と母を非難することになります。

原因は父のミスなのに……。

「衝動性」ゆえに、母の怒りや悲しみは誰にも受け止めてもらえないまま、立場が悪くなってしまっていたのです。

まだ幼かった私は、母の特性をまだ理解していませんでした。

母がどうして「言わなくてもいいことを思わず言ってしまうのか」について本気で悩んだり、理解が無かったが故に、母を責める気持ちもありました。

「その衝動的な発言が無ければ、母はもっと堂々としていられるのに」
「父が、母のその衝動性を理解してあげられたらよかったのに」
「父が『ああ、また衝動的にキツイこと言ってるよ、はいはい』と流せる性格だったらよかったのに」
と、子ども心ながらに思っていました。

常に何かしていないと落ち着かないからすれ違う(話を聞かない)

すれ違い夫婦喧嘩のもうひとつの原因は、母が常に何かしているため、(ADHDの特性「衝動性」や「多動性」からくるものではないかと今は思います)まともに話し合いができないことでした。

父が真面目に話したいことがあって、母に「話があるんだけど」と言うと、ADHDの母は、言われた直後は「何?」と顔を向けるけれど、その数分後(多くは数秒後)には手元で別の作業をしたり、「ちょっと待って、これだけやっちゃう!」と、父の「真面目に聞いてもらいたい話」を遮ることも多くありました。

「真面目に聞いてほしい」「話し合いたい」と思っている人間にとって、「ながら聞き」や「途中で話を中断させられること」は気持ちの良いものではありません。

話の内容によっては、不快ですらあるはずです。

その度に「聞いているのか!?」という父の罵声からスタートし、夫婦喧嘩が始まるのでした。

ADHDの母の娘だからこそ、身に付いた能力

状況察知能力前述のような『困ったところ』もある母ですが、娘だからこそ身に付いた能力があります。

ひとつめは状況察知能力です。

真面目な話をしたいときには、母の機嫌や、今やってることの様子などを見て、話せる余裕があるかどうか確認してから話しかけるようになりました。

この能力は友達関係だけではなく、社会人になってからも、人間関係において役立っています。

私は今までの人生で「空気が読めない」「タイミングが悪い」などと言われたことがありません。

それは、ADHDの母と日常過ごしている中で、相手のタイミングを伺ったり、相手の機嫌に敏感になる力が自然と身に付いていたからです。

そのため、就職活動における面接も得意でした。

ADHDの母と過ごすことで、相手の反応を見る力が身に付き、磨かれていったのです。

グループディスカッションも得意でした。

グループの中に、突出して変な意見を言う人がいたり、ほとんど何も話せない人がいたら、その分自分の力を発揮することができました。

発達障害やADHDの人と普段から関わっていると『周りの人たちとは少し違う人』の力を引き出したり、その人がその場でノビノビと居られるように促す術が身に付いてくるのです。

もうひとつは、人に期待することを諦める力です。

一見とてもネガティブに聞こえますが、生きていく上で非常に大事な力です。

仕事上で何か嫌なことがあったり「この人と分かり合えない」と思ったりするようなことがあっても、「相手を変えようとは思わない。自分が変わろう」と思える力は、『柔軟さ』『環境適応能力』へと繋がっていくからです。

これは「ガマン」とは別物です。

ガマンとは一方的に諦めることであり、ADHDの母の元で育った力はもっともっとレベルの高いものです。

「相手は変えられないから、自分を変える。でも一生付き合っていく相手であるから、なんでも言いなりにはならない。ならば、相手をいい気持ちにさせながら、自分も生きやすくなるためにはどうすればいいのか?」と自然と考えるため、「自分も相手も我慢しない生き方」を模索していくようになります。

ADHDの母と私私にそのような力がついたのは、紛れもなく、ADHDの母がいたからです。

特に母が「自分はADHDではないか」と言い始めてかは、さらにその力はパワーアップしました。

「本人が悪いのではなく、障害なのだからしょうがない」と思えないことももちろんありましたが、多くのことは「自分が変わって自分が生きやすくしていこう」と思えるようになりました。

もっと、もっと、分かり合えるようになったのは、母自身が障害を自覚してからです。

その頃、我が家には『片付けられない私』といった本やニキキリンコさんの本、『発達障害に気づかない大人たち』など、発達障害やADHDに関わる本が増えていきました。

それらの本を我が家に持ち込んできたのは、母と喧嘩の絶えなかった、父です。

父なりに、『衝動的に行動する』母や、『忘れ物やケアレスミスが多く、自己嫌悪で泣いている』母を理解しようとしていたのかもしれません。

父は読書家だったため、あらゆる本を読んでいく中で、ADHDに関する本に出会い、「これはもしかしたら妻のことかもしれない」と思ったのでしょう。

それらの本が増えてくると同時に「私はADHDなのかもしれない」「アスペルガー症候群のグレーゾーンかもしれない」という言葉が、なんと母の口から出るようになりました。

「もしかしたらこれは発達障害なのかもしれない」「自分の能力が低いわけではないのかもしれない」「人とトラブルが起きてしまうのはADHDのせいなのかもしれない」と母が思うようになってからは、母自身が変わろうとしている様子がわかりました。

分かり合えるようになったのは、母自身が障害を自覚してから

日にちの勘違い、ケアレスミス…母自身が、自分の注意欠陥的な『困り感』を認める

障害_自覚まず母が変わったなと思ったのは、ちゃんと失敗を認めるようになったことです。

それまでは日にちの勘違いや、小さなケアレスミスを、『たまたまやってしまったこと』に思い、『おっちょこちょい』という言葉で片付けていましたが、自分はそういった数字の管理や、スケジュールの管理に弱いということを認めだしたのです。

「自分が発達障害かもしれない」と認めだした頃の母は、少し落ち込んでるように見えました。

誰でも障害を受容することは苦しいことですものね。

けれど、そんな風に落ち込んでいる母を見ながら私自身が思ったことは、「やはりそうだったのか」ということでした。

家にある発達障害の本を読みながら「母がADHDなんじゃないか」「アスペルガー症候群のグレーゾーンなんじゃないか」と思うと、腑に落ちるものがたくさんありました。

  • 日にちや数字やスケジュール管理に弱いこと
  • 「大変だ!」と思ったら現状を把握するより先に、すぐ行動してしまうこと
  • 相手が自分のタイミングで動いてくれないとイライラするところ
  • すぐにどこかに行ってしまうところ、常に動き回っているところ

母のADHDを家族全員が認め出してから、家庭がうまく回るようになってきた

家族全員で母は発達障害かもしれないという認識を持ち出してから、少しずつ、家庭がうまく回るようになりました。

  • コロコロ変わりそうな予定に関しては、「私はこの予定だけは絶対大事だからね」と先回りして母にきちんと伝える
  • 母が日にちを勘違いしそうなときには、「わかってると思うけど」と前置きした上で日にちを確認する

夫婦父は、以前より「やれやれ」「(ADHDの特性が)また出たみたいだな、しょうがないなぁ」と思えることが多くなったように思います。

母自身も、焦りそうになったときには口に出して、「まず落ち着こう」「焦らない、焦らない」と言うようになりました。

そして、そんなふうに「自分の障害を認め、自分の特性を自覚して、自分の『生きにくさ』と向き合っている母」を見ていると、娘の私の中にも、母を支えたい気持ちが出てくるようになりました。

昔の「頻繁にイライラしている、怖い母」には抱かなかった感情です。

母にしか話せないこと、ADHDの母だから相談したいこと

ADHDの母だから相談したいこと発達障害の母のもとで育った私。

私自身も、「私はADHDなのではないか」と思うことが今まで多々ありました。

小さなミスが重なること、自分の勘違いで人に迷惑をかけたこと、失敗が積み重なること、同じミスを何度も何度も繰り返してしまうこと……、そのたび自己肯定感が低くなっていく自分に気づきました。

そんなとき、私を助けてくれるのはいつだって「ADHDの母」なのです。

「母ならきっとこの気持ちをわかってくれる」「母ならきっと同じ経験をしてきた」「母ならきっと、うまく励ましてくれる」……そんな信頼がありました。

発達障害の当事者だからこそ、「つらい経験」をたくさんしてきて、たくさん傷つき、たくさん自分を責めてきた過去があるのです。

それを知っているADHDの母だからこそ相談ができる。

泣きながら母に電話し、「あなたは、まだ若いのにそういう性格に気づけたからスゴイよ、私なんて大人になってからADHDの特性を認められるようになった、私もまだまだ」……そんな風に言う母の言葉を聞きながら、「障害とは、性格とは、一生付き合うものだ、私は私なんだ」と心が軽くなりました。

『私はADHDではないかもしれない。けれど、ADHDの特性を、家族として知っている分、衝動的な失敗も、ミスも、少し大らかに捉えられるようになってきている。私は私でいい。この性格だから、私なんだ』と。

母の性格を、母の生き方を、「ADHDの特性ゆえなのだ」と思えるようになってから、「母は母のままで良い」と思えるようになり、そして同時に「私は私のままで良い」とも思えるようになりました。

そういう生き方をしていると、生きること自体がとても楽になります。

もし今、この記事を読みながら悩んでいる人がいたら、『あなたの人生はあなたのもの。そして、あなたのままで良いんだよ』と言いたいです。

自分の障害を、家族の障害を、背負わなくていい、ゆるやかに付き合っていくだけでいいのです。

必ず分かり合える日がきますよ。

まとめ

ADHD母_まとめ家族とは、一生切っても切れない関係です。

その中で、ADHDの母に育てられた娘の私は、たくさん母に傷つけられたし、嫌な思いもしたし、大変なこともありました。

でも……私は、母を諦めませんでした。

母を突き放したりはしませんでした。

それはなぜか。

「母自身が、ADHDであることを認め、『自分のために、周りのためにどうにかしよう』と向き合っていたから」です。

もしあなたが、発達障害の当事者なら……、毎日うまくいかないことがあるかもしれません、娘や夫に八つ当たりしたり、どうにもならない生きにくさを「わかってほしい」と思うかもしれません。

一番つらいのは当事者である、あなたです。

でも、その「生きにくさ」をどうやったら変えられるのか、どうやったら周りも幸せになれるのか、今日から自分自身に問いかけてみませんか。

当事者のあなたが、自分自身に向き合い、苦しみ、努力している姿を見て、周りの人間は変わるのです。

自分の生きにくさを認めてみてください。

どうやったらもう少しだけ、楽になるのか考えてみてください。

家に1冊でも発達障害に関わる本があるだけでも、あなたが真剣に向き合っている事実が、家族に伝わるでしょう。

もしあなたが、当事者の家族なら……、当事者の家族には、特別な苦しみがありますね。

それは当事者の苦しみとは全く異なるものです。

幸せを諦めないででも、諦めないでください。

自分が幸せになることを諦めないでください。

「もうこの人とはやっていられない」と思う日がくるかもしれない、でも、私は私、あなたはあなた、と切り離して考えるのです。

世の中に「発達障害」に関する本がたくさん増えてきました。

しかし、当事者家族の苦しみを解決してくれる本はまだまだ少ない現状です。

まずは自分。

自分を大切にしてください。

そして自分自身が満たされてきたら、当事者である家族の困り感を、外から見守ってあげてみてください。

当事者には当事者の力があります。

支えなくていいんです。

見捨てず、あたたかい目で見守ってあげてくださいね。

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