発達障害児育児を「つらい」と感じることへの罪悪感とその対処法

発達障害児育児を「つらい」と感じることへの罪悪感とその対処法

発達障害児育児を「つらい」と感じることへの罪悪感とその対処法発達障害児と生活している親御さんは、日々様々なご苦労をなさっていることと思います。

かくいう筆者も、アスペルガー症候群とADHDの診断が下りた長男と、広汎性発達障害とADHDの診断が下りた次男と暮らしています。

子どもたちの障害についての知識を深め、それぞれの行動の意味や理由を理解しているつもりですが、日々の生活の中で感じる他のお子さんとの違いや周りの人との会話の中で、つらいと感じることが多くあります。

「つらい」という感情にはマイナスのイメージがありますよね。

そのため、他のお子さんたちとの違いや周りとの会話を「つらいと感じること」に、罪悪感を抱いてしまうことはありませんか?

「どうして自分はそう感じてしまうのだろう」「そんなふうに感じてしまう自分はよい親ではないのではないか」「子どものことを本当にわかってあげられてないのではないか」などと感じてしまうことが、よくあります。

発達障害児を二人育てていて感じた「つらさ」や罪悪感から、どうやって脱したかをご紹介します。

周りからかけられる言葉が辛い

周りの皆さんは、良かれと思って「少しやんちゃなだけよ」「元気でいいね」等いろいろな言葉をかけてくれますが、本気で悩んでいる時や落ち込んでいる時は、それすらも辛く感じることがよくありました。

💬「普通に見えるよ」

発達障害情報ナビ子どもの発達障害を告白しても、「普通に見えるよ!」「よくあることだよ」と言う人がいます。

おそらく、発言者は、私を過度に心配させまいと”普通の範囲にいるよ”と伝えてくれているつもりだと思うのです。

でも、日々自分の子どもがなぜ一筋縄ではいかないのかと感じながら子育てをして、やっと発達障害の診断を受けて納得しようとしている私にとっては、「この人も理解してくれないのかな」という判断材料になっていました。

”これくらい普通”だと言われてしまうと、「病院に行くなんておかしい」「診断を受けるなんて大げさ」だと言われてしまっているように感じることもありました。

発達障害を告白することには勇気が必要であり、また、相手を信頼しているからこそ、パーソナルな問題を告白しています。

筆者は、「そうなんだね」と否定せず受け入れてくれるだけでも安心できました。

「よく話してくれたね」「これから気を付けることがあったら教えてね」など、今後の関係づくりにつながる声掛けを嬉しく感じました。

💬「大きくなれば変わるよ」「うちの子もそうだった」

発達障害情報ナビ次男は、多動が顕著に出るADHDです。

小さい頃は本当に落ち着きなく動き回っていて、低学年になっても、外食に出かけても席にじっと座っているのも難しいほど。

そんな次男をみて「大きくなれば変わるよ」と声をかけてくれる人もいましたが、「本当にただ大きくなるだけで変わるわけがない」と実感していましたから、「そうだといいけどね」と答えるだけにしていました。

また、年上のお子さんがいる親御さんからは、よく「うちの子もそんな時があったよ」と言ってもらうことがあります。

「大きくなったら気にならなくなったよ」と言ってもらっても、障害の特性からくる困りごとのある子の場合、普通に生活しているだけでは大きくなっても変わってはいきません。

特に問題行動については、エスカレートしないように観察しなくてはいけません。

子どもの発達をしっかり観察して、それに適した対応をして、タイミングを見て指導して正しい行動を教えて、それで初めて身につくのが発達障害児です。

普段から、お子さんの様子をつぶさに注視するクセをつけると良いですよ。

💬「様子を見ましょう」

発達障害情報ナビ学校や病院でよく聞く言葉です。

今まで様子を見ていて困っているから相談しているのに、こんなふうに言われてしまうとガッカリしてしまいますよね。

私は、こう言われてしまった時には、

💡病院であれば

  • 今までどの程度の期間そのことで困っていたのかを説明する
  • 次の相談日まで何を気にして様子を見ていけば良いのか
  • 家庭でやっていいこと、どがあるのか

💡学校であれば、さらに

  • 誰が様子を見てくれるのか
  • どのような基準で様子を見るのか

などを追加で質問しています。

そのまま家に帰っても、今までの生活が続いてしまうだけです。

せっかくの相談時間なので、何か残るように行動しなくてはもったいないですから。

世間の「あたりまえ」や「勘違い」が辛い

発達障害は、世の中に知られるようになってまだ年月が浅い障害であるため、発達障害についての間違った知識を信じて、親に対してきつい言葉や態度をとる人たちがいます。

具体例と筆者の対応をご紹介します。

親の育て方次第で発達障害になるわけではない

発達障害情報ナビこれは最も大切なことです。

発達障害は先天的な脳の障害であり、育て方や環境などによって後天的に障害になるわけではありません。

「親の育て方が悪い」と言う人に会ってしまったら、私はそっとその場を去ることにしています。

もちろんどうしてもわかってもらいたい人なら正すこともありますが、そのような人は家族や親しい友人など、大切な人たちだけですよね。

その人たちに理解してもらうのは、それほど難しいことではないでしょう。

しかし、そうではない相手に、反対意見を述べるのは大変労力を使うことです。

どんなに資料を提示しても話してもわかってくれない場合、結局その場にはいづらくなりますし、その行為が自分の自己肯定感を下げることにつながってしまいかねません。

何の問題もなさそうな親子を見るのが辛い

発達障害情報ナビ「他の子と比べてしまって辛い。そんな自分が嫌だ」と感じるのは、同年代の集団の場である健診や幼稚園や学校へ行った時に多いのではないでしょうか。

我が家の場合、小さな頃からアスペルガー症候群の特性が顕著だった長男は、公園に遊びに行こうとすれば家を出るのが嫌でパニック、公園から帰ろうとすればそれが嫌でパニック、一日に何度も虐待を疑われるのではないかという泣き方で泣いていたのです。

当時、母親の話をすんなりと受け入れている同年代の子を見た時や、虐待を疑われそうな泣き方をしない子を見た時にうらやましいと感じ、「なんでうちはこんなに泣かれるのだろう」と辛く感じていました。

そして、そんな気持ちになる自分が嫌で、酷く落ち込んでしまうことも……。

同じ年齢の子どもたちと比べて、我が子の現状をまざまざとみせつけられてしまう感じがして、私はそれらを辛く感じる時期が長くありました。

子どもの発達は一人ひとり個人差があるもので、得意や苦手は大人になっても誰にでもあることです。

母子健康手帳にも、どんな育児書、発達障害の解説書にも、そのことは冒頭に書かれていますし、私たちはそれを理解しているはずです。

しかし、子育ての真っ只中、毎日の育児に追われ、子どもの障害について勉強すればするほど、我が子の将来がどうなるのか見えず心配になってしまっている時には、わかっているはずのことも霞んでしまいます。

そのような時に大切なことは、親御さんがしっかりリフレッシュすること。

子どもと一緒にいたらゆっくりできないことだらけですよね。

一人で買い物に行ったり映画を観に行ったりするなど、自分がやりたいと思っていることがずっとできていないのではないでしょうか?

自分のしたいことをずっと我慢していませんか?

我慢している期間が長くなると、「我慢している」ことそのものを意識しなくなってきますが、何の対処もせずにいると、それまで平気だったことが苦痛になることもあります。

お勧めは、そのような時のために子どもをお願いできる場所を確保しておくことです。

子どもの発達の特徴や家庭の事情から身内に預けることもできず、ずっと我が子と一緒にいる親御さんもいらっしゃることでしょう。

現在では、レスパイトケア(乳幼児や障害児・者、高齢者などを在宅でケアしている家族の休息のため、支援者が一時的にケアを代替して、家族にリフレッシュしてもらう支援のこと)の観点から、各自治体で保育や託児のサービス、放課後等デイサービスなどの実施をしているはずです。

自治体によっては、ファミリーサポートセンターでも親御さんのリフレッシュのための利用が可能である場合もあります。

疲れ果ててしまう前に、ぜひ一度問い合わせてみることをお勧めします。

「仕事をしていないのに子どもを預けることに抵抗がある」「子どもに悪いような気がする」という気持ちになるのもわかります。

しかし、サポートを受けて、自分ではない誰かに子どもと過ごしてもらうと、毎日の苦労を他の誰かと共感することができるようになるのです。

共感は、お子さんを預かり、一緒に生活してみてからでなくては得られません。

筆者もファミリーサポートセンターの協力会員を10年近くしていましたが、自分が子育てをするようになり、育児について共感してくれる人がいるというのは大変心強いことだと心から感じています。

集団生活が始まってからの辛さ

子どもが幼稚園や学校に行くようになると、授業参観や行事などで集団生活の場を見る機会が増えますね。

そのような時にも、我が子の特性を目にしては様々な辛さを感じることがありました。

授業参観、運動会、おゆうぎ会

発達障害情報ナビ授業参観では、どの子も親がいることや他の大人たちが気になってソワソワしているものです。

しかし、次男は、そのソワソワを通り越した緊張から多動のスイッチが入ってしまうため、普通級での授業参観は苦痛を伴うものでした。

次男は私を見つけるとすぐに自分の隣に来るようにと手招きをするため、他の親御さんたちはみんな教室の後ろや廊下から見ている状況ですが、私は彼の隣にしゃがんで一緒に授業を受けていました。

授業が思い通りに進まなかったり内容がよくわからなかったりすると、怒って席を立ってどこかへ行ってしまいます。

それもいつものことですが、授業参観の時にされてしまうと、恥ずかしいやらどうしたらいいのやらわからなくなるため、授業参観は気が重いものでした。

そして、それを恥ずかしいと感じてしまう自分は、次男を理解してあげられていないのではないだろうかと悩んでいました。

また、次男は人前で何かをすることが本当に苦手で、幼稚園での初めてのお遊戯会は、先生の膝に座ってステージに上がるのが精一杯。

もちろん運動会もできない、やらない、と泣いてしまって一年目はほぼ参加できずでしたが、年長さんの運動会では立派に演技をこなして、頑張っていると感じていました。

ところが、小学校の運動会では、どの競技にも生活指導員の先生と手をつなぎ、半分泣いた状態で参加。

徒競走もダンスも、全部先生と一緒に参加する次男はとても目立ち、また、周りの親御さんがコソコソ話しているのも聞こえ、居たたまれなくなった私は取り乱してしまいました。

”子どもの特性をわかりたい、わかっているつもり、受け入れているつもりの自分”と、”みんなと同じにできてほしい”という親のエゴとの間で混乱してしまったのです。

本人が一番辛いはずで、親の自分が泣いている場合ではないとわかってはいるものの、気持ちを切り替えようにも自分でもコントロールできない状態になっていました。

ただただ、行事が早く終わるようにと願うだけでした。

転機が訪れたのは、次男が小学2年生の時。

転校して、環境も先生も変わったことで次男は落ち着いて学校行事に参加できるようになり、のんびりと運動会を見ることが可能になったのです。

「他の親御さんは、学校行事をこんなに楽しんで見ることができているんだ」と思うほどに。

今悩んでいる皆さんのお子さんにも、いつか本人にぴったりくる指導者が現れるかもしれませんし、次男も、また次の担任によっては何もできない状態に戻ってしまうこともあるかもしれません。

ただ、「学校」は長い一生のうちの数年だけであり、親が参加する行事があるのは、小学校6年間、学校によってはさらに中学校3年間くらいでしょう。

そう割り切って過ごすことが大切だったのではないかなと、今は感じています。

集団生活の辛さは「周りの親御さんの目」からくる

発達障害情報ナビ子どもに手がかかる分、ゆっくりおしゃべりをすることもできず、ママ友を作るのも難しかったため、保護者が集まる会の中では一人でいることが多くありました。

息子と一緒に生活する子どもたちはそれほど気にしなくても、保護者は過剰に反応しがちです。

直接話を聞いてくれればこちらも答えようがありますが、自分がいないところで話をされてしまうとどうしようもありません。

当時はそれを苦痛に感じていましたが、今は、直接話を聞きに来ない人たちがどう感じようが、どう思おうが、私にはかかわりのないことだと考えるようにしています。

私は発達障害について勉強している時に、コーチングというコミュニケーション手法とアドラー心理学に出会いました。

それらを知ることで、子育てを辛いと感じ、また、罪悪感を抱いている時や周りの目が気になる時に、

  • 自分が辛いと感じてしまっていることを否定せず、受け入れる
  • 他人を変えるためには自分を変える
  • 他人が自分や息子をどう思っているかは他人の問題で、自分の問題ではないから考える時間がもったいないととらえる
  • いくつかの集団に属するようにして、一つの集団に固執しない

これらのことを意識するようにしています。

感じ方は人それぞれで、自由です。

ですから、辛いと思う自分がいても何もおかしいことはないのです。

自分の心を守るためにも、何か一つ考え方を持っているとよいですね。

まとめ

発達障害情報ナビ発達障害児を育てていくことは、一筋縄ではいかないことだらけです。

それを外野からとやかく言われてしまう時が本当に辛く、悲しい思いをしたことも何度もありました。

それでも、子どもたちはその子なりに成長してくれます。

親自身が、自分をしっかり守ることができて初めて、みんなが幸せに暮らすことができるのだと感じています。

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