「仕事が自分に合わない」「周りの人達と上手くいかない」「どうしてこんなにつらいんだろう」と悩んでいませんか?
私はこの悩みを幼少期からずっと持ち続けていました。
偶然に発達障害のことを知り、「もしかしたら」と思って病院に行ったところ、結果は「発達障害」。
就労移行支援で活動する中、自分自身の問題点を改めて実感すると共に今まで気づかなかったこともたくさん見つかりました。
発達障害を持ちながら働くには、やはり障害に合わせたやり方で仕事をすることと、どのようにすれば自分なりに周りとの合わせ方や仕事のやり方を身に着けることが前提になります。
また、周りの人々の理解と協力を得ていくことも、仕事や日常生活を円満に過ごすうえでも不可欠です。
今回は私が体験してきたこと、困った点などを交えながら【自分らしく仕事を頑張っていくには】について皆さんにお伝えしたいことを綴っていきます。
参考になれば幸いです。
幼少期と大人になってから -受診のきっかけ-
私は小さい時からひとり遊びが好きな子どもでした。
幼稚園の頃は、みんなが室内に入っても一人でブランコに乗るなどの単独行動を取っていました。
大人になってから、私の子どもの時のこの行動を母に聞いたところ「一人っ子だから、こんな感じかな」とさして気に留めていなかったそうです。
成長するに従って友達を作りたいと思って行動するも、いつの間にか友達は離れていっていましたが、元々単独行動を好んでいた私は特に気にしていませんでした。
そうした年月を経て短大を卒業、社会人になり販売の仕事に就職しましたが、これが大きな足枷となって私を苦しめていくことになりました。
マイペースな行動やミスがしょっちゅうあることからよく怒られ、発した言葉が元でトラブルになったこともあります。
職場でのいづらさから胃腸の調子を崩してしまい、よく注射や点滴を打っていました。
仕事のし易さを考えて販売から事務職に転職しましたが、ミスが多いという問題点は変わりません。
周りの空気が読めずに周囲を振り回してひんしゅくを買い、益々人間関係は悪化。
決定的なことは、当時総合病院の受付をしていた時、かなり慌ただしいことで周りについていけずに過呼吸や落ち込む状態が酷くなってしまったことです。
心配してくださった職場の先輩に精神科の受診を強く勧められましたが、身体はどこも悪くないと受診を拒否。
しかし、だんだんと体調が悪化した為に精神科の受診を決めました。
うつ病の診断がつき、また、当時の仕事が私には合わないこともあり、退職。
それからは、治療しながら事務職や青果市場の加工職等様々な職種の会社で事務の仕事をしましたが、どの職場でもミスが多く物事への正確さを欠き長続きしませんでした。
「私はもう何をやってもダメなのだろうか?」と思うこともしょっちゅうで、毎日泣いて過ごし、周りに合わせて仕事をするということもできないため、職を転々としていました。
そのような状況の中でも、ある会社の社長さんのように「経理の仕事が向いているから頑張って」と声を応援してくれた人もいます。
職業訓練で簿記やパソコンを学び、事務職に就いてみたものの、数字や物事への正確さを欠く私にはうまくこなすことができません。
働かないといけないとわかっていてもだんだん働きたくない、人に会いたくないという気持ちも出てくるようになりました。
ある日、数年間通っている精神科の病院で診察待ちをしているときに偶然「大人の発達障害」という製薬会社が作成したパンフレットを読み、大きなショックを受けました。
なぜならその内容すべてが、私が苦しんできた内容そっくりそのまま書いてあったからです。
「これまで自分がうまくできなかったのは発達障害のせいなの!?」
これが衝撃をうけた私の最初の感想でした。
そのことを早速主治医に話しましたが、「そうですか」という態度だったため、県内で大人の発達障害を診察してくれる先生をインターネットで調べて診察を受けに行きました。
そこで私の話を色々と聞いてくださったあと、自閉症スペクトラム障害(当時は広汎性発達障害)とADHDという診断を出されました。
その時私は「ああ、やっぱり」という気持ちになってホッとしました。
「一般就労は難しい」という事実を認めることがつらかった私
発達障害の場合、一般的なやり方では仕事が難しいことが多々ありますが、「一人一人の個性を発揮できるやり方を見つけ出して、仕事にフルに活かしていく」ことが発達障害の強みになり得ます。
しかし、私は発達障害という脳の機能の障害を受け入れることがなかなか出来ませんでした。
就労にも配慮が必要となった時、一般就労は難しいという事実を認めることがつらかったです。
「母には視覚障がいがあるから、もっとしっかりして頑張っていかないと」という思いで更に空回り。
色々悪い方向に考える悪循環に陥ってしまいました。
しかし、落ち込んでも何も解決しないため、母とも「障害を持って生きること」について色々話し合い、それからは徐々にこのまま頑張って毎日を過ごしていこうと思えるようになっていけました。
「脳の機能に問題があるけど、身体に問題がある訳じゃない。自分の一番いいやり方で出来る仕事も見つけることが出来る筈」と前向きに考えていくと段々楽になり、自分に合った仕事を探そうと決心できました。
「もう一度あの仕事をやりたい!」と一念発起 -障害者雇用での再就職を決意-
就労支援を受けることに
ある日、街の情報が掲載されているフリーペーパーを家で偶然手に取ってみたところ、そこには「障害を持つ人の就職をお手伝いします」と書かれた枠がありました。
よく見ると、それは障害者の就労支援施設の案内でした。
「ここなら相談に乗ってもらえるかな?」という気持ちで電話をしたところ、直接施設で話をすることになり、後日伺ったときに施設の説明を受け、早速次の日からの施設の利用をする流れになりました。
最初は「これでよかったのかな?」と疑問が少しわきましたが、「発達障害は周囲に理解されにくい。ふつうに就職してもまた同じ悩みを抱え続けることになる。やっぱり支援を受けて再就職してみよう」と思い、この流れに乗って動くことにしました。
障害者雇用のメリットは、その人に応じた配慮を受けられること。
一般就労では障害に関する配慮はありません。
今思うと、やはり就労支援を受ける形をとったことが私にとっては良かったと感じています。
手帳がないと障害移行支援を受けることが出来ないので、発達障害の診断をしてもらった病院の先生にお願いをすることにしましたが、「あなたは軽くて健常者者の中にもっと状態のひどい人がいる」と言われ、手帳取得に必要な書類や自立支援法適用などの書類を書いてもらえなかったため、限定通院している病院の主治医に相談、早速障害者手帳取得に必要な書類を書いていただきました。
市役所やハローワークに書類を無事に提出後、施設に通いながら仲間もでき、色々と話をしていくうちに気持ちを通い合わせていくことができるようになってきました。
ここでの一番の学びは、「仕事」がどういうものなのか作業を通して学べたことです。
以前から私は周りに合わせて動くことが苦手でした。
そこで「どのようにすれば少しでも周りに合わせていくことが出来るのか?」という点を頭に置いて動くようにしていきました。
最初はうまくいかずに混乱することがありましたが、支援員さんのフォローや周りのみんなのおかげで、少しずつ動けるようになっていきました。
「働く」という意味は、これも文字通り「人の為に動く」こと。
仕事をする、働くことはまさに相手の身になって動くことです。
この本当の意味が、この支援を受けながらやっと少しずつ分かってきたように感じられました。
仕事の進み具合を考えながら動けるようになったことが、非常に嬉しかったことです。
また作業を通して支えてくださる周囲の人々への感謝でいっぱいになりましたし、今後の就職活動の励みになりました。
就職ができないことへのいら立ち
就労移行支援を受けながら就活していましたが、なかなか自分に合う仕事が見つからず過ぎていく日々。
以前発達障害支援センターで聞いた問題点、障害者雇用のデメリットである「再就職を見つけるまでには時間がかかる」という点を痛感しました。
就労移行支援の期限は2年、運が良ければこの間に見つけることが出来る……しかし、この2年間が過ぎても見つからない場合も少なくありません。
事務職希望にて作業所からの提案は勿論、ハローワークでの求職活動や地域の障害者就労センターからの紹介で面接をする等の就職活動を続けてきましたが、いずれも採用に結び付きませんでした。
「発達障害」ということで嫌な顔をされたこともあります。
障害者雇用の場合、多くが身体障害を前提としている傾向にあり、就職も比較的スムーズな印象がありますので、障害の内容でもハンディキャップが大きく何度も歯がゆい思いをしました。
何度も「やっぱり、発達障害の再就職は厳しい。いっそのこと、クローズで探して早く再就職したい」とも思いました。
しかし、クローズで就職したとしても以前のようにつらい思いをするのがわかっているので、諦めずにオープンでの就職を目指しました。
結果的に私にはそれが合っていてよかったと感じています。
ついに念願の就職へ
作業所に通いだしてもうすぐ1年が経とうというある日、自然薯栽培と販売も手掛ける建設会社での施設外就労の作業に携わりました(私たちは自然薯栽培や収穫のお手伝いに関わっています)。
そこで会社の社長の奥さんに声をかけていただき、「事務をしていたのなら経理の経験はありますか?」と問われ、「少しあります」とお答えしたところ、「うちの会社の経理を手伝ってほしい」とお話があったのです。
夢のような話にびっくりしました。
まずは、施設外就労の形で自然薯の売り上げをパソコンに入力していく作業から入りました。
そのうち進物や小物の軽作業にも関わっていきました。
こうして数ヶ月が経ったある日、正式に就職のお話があったのです。
あんなに苦労した就職がついに叶ったのです。
今では4年目に入り、理解いただいている職場に籍を置いて1人で仕事をコツコツと進めることが出来、安心して働くことが出来ています。
もちろん、その間には仕事につまずいて悩むこともありました。
特に一番大変だったのが、会社の決算に関わる仕事でミスをした時です。
悩んで悩んで……、お世話になっていた作業所に相談に行き、一緒に解決方法を考えてもらって解決できたときに本当に安心できたことを非常によく覚えています。
やはり、就職後も、仕事について何らかのサポートを得られる体制があるのはありがたいものです。
これからも大変なことはあるとは思いますが、頑張ってこの仕事を続けていきたいと思っています。
まとめ
最近は発達障害者を対象としたマッチング求人が行われていると聞いたことがありますが、まだまだほんの一部の人が対象となっており、全体的にはまだまだ普及しているとは言い難い状況です。
発達障害を抱えながら生活を送っていくには、現代の日本では認知度もまだまだ低いと言わざるを得ない状況である上、周囲の理解度の低さから発達障害のことを打ち明けたところで「そんなものは関係ない、努力不足」と一蹴される場合もあります。
それでも、私たちは諦めずにコツコツと「周りとどう向き合って様々な対処方法を身につけていけばいいのか」という点を意識し、工夫していくしかありません。
私たちの努力が実を結び、発達障害について真に理解を得ることができたとき、発達障害者たちはその生きづらさを解消していくことが出来るのかもしれません。
もちろんどうしてもうまくいかない点も多々ありますし、発達障害者が周囲に配慮を求める場面も出てきますが、その中で、発達障害者と健常者がお互いに「こんな考え方もあるんだ」とそれぞれの考え方を知り、成長の糧としていくことが大切だと私は考えています。
そうすることで、お互いのことをよく知っていくことができるのだ、と。
発達障害者の考え方や特性による悩みを健常者の皆さんに知ってもらうことが、私たちの生きづらい生活や気持ちに光を当ててくれる具体的な解決法であり、お互いが気持ちよく生活できる未来への第一歩だと私は信じています。
お互いの「常識やルール」があってぎくしゃくすることも少なくありませんが、うまくいかない問題点を皆でじっくりと話し合い、一緒に解決していける社会が実現できるよう私は努力を続けていきたいと思っています。
また、そのような未来を心から願っています。
コメント