私には2人の息子がおり、長男は健常児、次男が発達障害児です。
次男の発達障害を疑ったきっかけは、2歳の時に通っていた無認可保育園の園長先生から「多動症じゃないですか?」と言われたことでした。
次男には、「自閉症スペクトラム障害」と「注意欠陥多動性障害」の診断がついています。
次男は、ママっ子だった長男とは違い、パパっ子で、私が抱くと嫌がって大泣きされたこともあり、焦りから次男の育児を放り出したくなることもありました。
療育を受けるようになってから、いてもいなくてもいい存在だった母親の私を少しずつ認識してくれるようになった次男。
成長と共に、次男なりに周りと関われるようになったんだな、と思っていましたが、1年生も終わりに差し掛かった2月の後半、次男は私と小学校の校門で別れた後、校舎内には入らず、無断で家に帰って来てしまうようになったのです。
「行きたくない」と泣いて、登校拒否。
3月はほとんど登校出来ず、中旬から保健室に母子登校することになりました。
次男に限らず、発達障害児は不登校になりやすいと言います。
この記事では、発達障害児である次男が小学校入学から2年生になった現在までどのように育ち、どのような療育を受けてきたか、また、困ったことはどんなことなのかを書いていきます。
ほんの少しでもお役に立てれば幸いです。
小学校入学
入学前に10ヶ月だけ通った療育教室
私たちが住んでいる市では、医師の診断書がないと療育に通うことが出来ません。
診断書を出して貰うということは、その子の発達障害を”認める”ということ。
当時まだ次男の発達障害を受け入れられていなかった夫に猛反対され、その時は療育を受けられませんでした。
「この子には障害なんかない!周りと同じように出来ないのは3月生まれで他の子より幼いからだ!」と言う夫と、毎日のように喧嘩ばかりしていました。
私は「この子も来年にはもう小学生になるのに」と思うと不安に押し潰されそうになっていたため、強行突破することにしたのです!
児童相談所の職員さんに相談して、市の福祉課の担当者にかけ合っていただき、「必ず今年度中に診断書を貰う」約束で、療育教室に通えることになりました。
児童相談所と聞くと、虐待されているお子さんを保護してくれる、というイメージが大きくないですか?
児童相談所は、発達相談も受けてくれるのです。
もし、お子さんの発達の面でどこに相談したらいいのか迷っている場合は、児童相談所も候補に入れてみてくださいね。
その後、ようやく次男が通えることになった療育教室は、月に2回、1回の時間が1時間という短い時間だけだったため、最初は不安に思っていましたが、先生が1対1で次男に向き合ってくれたおかげで、次男は少しずつ変わっていったのです。
少しでも自分が納得出来ないとそれを認められず寝たふりをしていた次男に、先生は「今日は次に来るお友達いないから、先生次男くんが出来るまでずっと待ってるよ」と言って辛抱強く付き合ってくれたため、1時間の学習が2時間になることもありました。
その「寝たふり」が「現実逃避」だと教えてくれたのも、この先生でした。
先生に「次男くんは、自分と波長の合うお友達を見つける天才ね」と太鼓判を押された次男。
気の合うお友達と2人で学習する日もあり、そんな日は注意されることもありましたが、3月まで楽しく通うことが出来ました。
療育の時間だけでなく、私の相談にも真剣に乗ってくれた先生。
どれだけ助けられたか分かりません。
夫がどうしても診断書を貰うことを認めてくれなかったときも、「お父さんとお母さんが次男くんのことで喧嘩をして離婚にでもなったら、そのほうが次男くんを傷つけてしまうわよ。お父さんが納得してくれるまで待ちましょう」と言ってくれ、4月からは療育は全くなしでやってみることになりました。
小学校1年生
次男が小学校に入学する時に、普通級か支援級かで本当に迷いました。
次男のように、知的に遅れはないのに授業をきちんと受けられないお子さんを育てる親御さんは、私と同じように悩んだり迷ったりされていることでしょう。
私は入学前相談を受けました。
これは、教育委員会の担当者と話をして、市の心理士さんの心理テストを受け、入学後のクラスについて相談して決めていくものです。
次男は「定型発達の範囲内」との結果になりました。
5歳の時にも心理テストを受けたのですが、「同じ年の子どもとは違うことを言ったりやったりするけれど、知的な遅れは全くない」と、その時も「定型発達の範囲内」。
いわゆる「グレーゾーン」です。
白でもなく、黒でもない。
黒ではない喜びよりも、白ではない不安だけが残る結果となりました。
お世話になった療育教室の先生にも相談に行き、次男は普通級に入って情緒の通級指導教室に通うことになりました。
入学してしばらくは、担任の先生から次男のことで何も連絡がなく、次男なりに頑張っているものだと思っていましたが、運動会が間近に迫った5月中旬、担任の先生から電話がありました。
「次男さんが暑がって運動会の練習に殆ど参加出来てません。クラスの子たちと一緒に並ぶことも出来ません。1人だけウロウロしていると目立ってしまうので、1番後ろに並ばせてもよろしいでしょうか?」
次男は、ベテラン保育士さんがビックリするくらいの暑がりで汗っかきなので(夏場は保育園にお迎えに行くと、次男だけお風呂上がり状態でした)仕方ないのかもしれないなと思い、先生にお任せすることにしました。
運動会当日はウロウロすることもなく、次男は全ての競技をやりきりました!
保育園の3年間、親子競技以外大泣きで、夫か私に抱かれていた次男。
「お兄さんになったんだ、スゴい!やれば出来るんだ!」と思い、とても嬉しかったことを覚えています。
運動会から帰って来た次男は、自信に満ち溢れた顔をしてるように見えました。
それからしばらくして、夏休みに入った7月下旬、担任の先生と二者面談がありました。
その時に、担任の先生から「実は次男さんが暑がって教室から勝手に出て行ってしまうんです。お腹を出して廊下に寝そべってしまうことも」とびっくりするような話を聞きました。
他にも、机の下に防災頭巾を敷いて眠ってしまったり、何でも口に入れてしまうことから算数ブロックは担任の先生が預かってくれることもあったり、授業中に自由帳を出してお絵描きをしたり、いつまでも次男だけ図工をしていたりすることもあったようです。
私は大丈夫だと思っていたため、大ショックでした。
次男は頑張りすぎてオーバーヒートしてしまい、そのような行動を取ってしまったのでしょう。
夫に話したら、彼もショックを受けていたため、私は「やっぱり次男には療育を受けさせないとダメなんだよ。病院に行こうよ」と言うと、「そうかもな」とようやく言ってくれたのです。
その後、以前療育教室の先生から「もし診断をつけて貰うならこの先生に」と聞いていた大学病院のM先生に連絡をしました。
電話で予約をした半年後、ようやくM先生にお会いすることが出来ました。
M先生の診断
M先生に次男が生まれてからのことや学校でのこと、今1番困っていることは何か、など色々聞いていただきました。
私からだけでなく、次男からも色々聞いて下さり、M先生からは軽度ではあるけれど『自閉症スペクトラム障害』と『注意欠陥多動性障害』の2つの診断を受けました。
ただ、次男はとても軽度だから、診断をつけずに過ごすことも出来ると言われました。
「診断がないと療育が受けられない」と言うと、それなら、と診断書を出して下さいました。
大学病院に行ったその足で市役所に行き、療育を受けるために必要な受給者証の手続きをしました。
次男が療育教室に通っていた時に計画を作成してくださっていた相談支援の担当の方に相談し、放課後等デイサービスに通うことになりました。
療育に力を入れている事業所を紹介していただいたのですが、空きがあまりないそうで、週に2日しか通えないため、もう1つ別の事業所も紹介していただき、そちらも週に2日、合わせて週に4日通えることになりました。
次男の療育
通級指導教室
1年生の運動会明けの6月から、次男は通級の情緒のクラスに通い始めました。
ここは、「お友達と上手くかかわれない」「授業中に落ち着いて座っていることが難しい」といった、次男のようなお子さんが通う教室です。
プレイルームで身体を動かしたり、ゲームをしたりしながら情緒面の発達の勉強をしています。
勉強以外にも、夏にはかき氷を作って食べたり、秋には畑で掘ったサツマイモでスイートポテトを作って食べたりと楽しい行事もあります!
子ども3人に対して先生も3人という小さな集団での勉強は、次男にはとても合っていたようです。
1年間楽しく通うことが出来ました。
放課後等デイサービス
先程少しだけ触れましたが、次男は2ヶ所のデイサービスに通っています。
ひとつは、福祉関係の施設を何ヶ所も運営している、療育に力を入れている事業所。
こちらに週3日通わせたかったのですがいっぱいで、週2日通うことになりました。
次男は新しく出来た2号店に通っています。
建物もオモチャも全て新品で、次男は喜んで通っていました。
こちらでは、身体を動かすことが必ずプログラムに含まれていて、皆で準備をし、順番を守り、また皆で片付ける、という勉強をしています。
手先の訓練で、アイロンビーズを使った「遊びながらの勉強」も取り入れています。
私のためにハートの形を作って、持って帰って来てくれたこともあります。
もうひとつは、普通の一軒家にて個人で経営している事業所。
こちらは、どちらかと言うと預かりをメインとしており、計算しながら自分たちでオヤツを選んで買い物の勉強をしたり、お庭にある畑で宝探しをしたりといった、子どもたちが喜ぶ楽しいプログラムが沢山あります。
こちらにも週に2日通っています。
「お部屋は狭いし、オモチャもあまりない」と次男は、1つ目の事業所の方が面白いと言っていましたが、なんと2つ目の事業所で同じ小学校の2学年上のお友達が出来、学校の休み時間や放課後にも遊ぶようになったことで、お友達がいなかった次男の毎日は180度変わったのです。
その子に会うために学校に行き、デイサービスに行く次男は、1つ目のデイサービスに行きたくないと言うようになってしまいました。
お友達が出来たせいかとも思いましたが、どうやら嫌なお子さんがいたようで、そのお子さんが来る曜日はお休みして様子を見ることにしました。
次男の登校拒否
登校拒否のきっかけ
2月の下旬の朝、「学校に行きたくないな」とポツリと呟いた次男。
下記のような行動が見られました。
- 朝登校する振りをして、無断で帰って来るようになってしまう。
- 何が嫌なのか聞いても「学校の全てが嫌」としか答えてくれない。
- 担任の先生と昇降口で待ち合わせして、引き渡すことになりましたが、嫌だ、行きたくないと大泣き。
- 昇降口までも行かなくなり、門にも入れなくなり、学校を休むように。
当時、パートをしていた私は、ほとほと困り果ててしまいました。
きっかけとなったエピソードを下記に綴ります。
学校でも自分のペースで過ごしていた次男は、周りのお友達と同じように出来ないことが多く、体育の授業を拒否したり、授業中にお絵描きしたり、ウロウロしたり……。
そんな次男を見ていた他の児童たちが、授業参観の日に私に言いつけてきたんです。
「次男くんのお母さん!次男くんてズルいんだよ!」
「次男くん、いつも授業中にお絵描きしてるんだよ!」
その言葉を聞き、それまで私の隣でニコニコしていた次男の表情が一瞬で変わりました。
もの凄く悲しそうな顔でした。
次男はプライドが高いので、きっと私にその表情を見られたくなかったのかもしれません。
自分の席に座り、無表情になりました。
今でも、その時の次男の表情を思い出すと、涙が出てしまいます。
この時に言われた「ズルい」という言葉が、今も次男を苦しめています。
あの時、私のそばにいなかったら、この言葉を聞いてなかったら、次男は今でも普通に学校に通えていたのではないか、と思えてならないのです。
登校拒否から保健室登校へ
「とにかく教室に入りたくない」と言う次男。
担任の先生には「ママと離れたくない」と言い、私には「学校の全てが嫌!」と言うのです。
そこで、学校から「お母さんと一緒に保健室登校をしてみてはどうか」と提案されました。
「ママと一緒なら行けると思う」と言う次男のために、私はパートを辞めました。
次男の保健室登校は、なかなか順調にはいきませんでした。
2時間目が始まる頃に登校したり、給食を食べずに帰ったり、酷い時には1時間目の途中で帰る日もありました。
でも、とにかく「学校に行く」ことが次男の目標でした。
担任の先生からの課題はほとんど出来ず1年生の後半は過ぎていき、終業式も、可愛がって貰った6年生の卒業式も、次男はお休みすることになりました。
登校拒否中や保健室登校を始めたばかりの頃、次男は放課後等デイサービスもほとんど休んでいました。
「もう退所した方がいいのかな?」と、そんな話もしたのですが、どちらの事業所も「次男くんが来たい時に来てくれればいいですよ。次男くんがまた来てくれるのを待ってます」と言ってくださり、申し訳ないと思いつつ、とても嬉しかったことを覚えています。
次男の保健室登校
保健室での過ごし方
まず、登校したら、養護教諭と一緒にその日の時間割を決めます。
次男のクラスの時間割にそって決めますが、体育や音楽は出来ないので、その時間は、やっていない宿題をやっていました。
45分間、きちんと座っていられない次男を知っている養護教諭は、次男の手が止まったり、ウロウロし始めると3分や5分の休憩を挟んでくれたため、次男のペースで過ごすことができました。
給食は保健室では食べられないので(次男の小学校ではそう決まっています)、職員室の片隅にある応接テーブルで養護教諭と一緒に食べていました。
初めは、次男が給食を食べ終わったら急いで帰宅して(給食の後は、昼休み、掃除なので次男は保健室の掃除をしながら私を待っていました)、昼食をとり、また急いで5時間目までに学校に戻る……という慌ただしいスケジュールだったのですが、養護教諭と次男が相談し、「お母さんは、給食後に帰る」ことになりました。
その後は、次男がどうしても午後も来て欲しいという日だけ5時間目までに戻りましたが、確か1回だけだったと記憶しています。
教務主任の先生に「明日は先生とお勉強しよう」と誘われ、養護教諭がいなくても頑張ったこともあり、次男は養護教諭宛に「今日は教務主任の先生とお勉強しました」と得意げに手紙を書いていました。
この日を境に、次男は保健室だけでなく、職員室でも勉強するようになりました。
その時に次男の勉強を見てくれる先生は、なんと校長先生でした。
校長先生に褒められながら勉強をするようになった次男は、ドリルや課題をどんどん進めていき、その日に担任の先生から出された課題は、必ず全部やれるようになりました。
やることがなくなると、校長先生がドリルをコピーして違う課題を作ってくださったり、校長先生が不在の時は教頭先生とお絵描きしたり(何故か教頭先生とは勉強ではなくお絵描きでした)、養護教諭だけでなく、周りの先生にもとてもお世話になりました。
以前から養護教諭に「次男は支援学級の方が合っているのではないか、普通級で頑張らせ過ぎてしまったのではないか」という相談をしていたので、養護教諭から話を聞いた支援学級の担当の先生が保健室に来てくださり、次男を休み時間や朝の会に誘ってくれるようになりました。
そして、次男は、少しずつ支援学級と交流するようになりました。
支援学級との交流
次男が通っている小学校には、プレイルームがあります。
そこは先生がいる時にのみ、休み時間に支援学級の子どもたちが使っていいことになっています。
次男はこのプレイルームに混ぜて貰うことから始めました。
口より先に手が出てしまう次男は、支援学級のお子さんたちを怒らせてしまい、泣きながら保健室に戻って来たこともありました。
それでも毎日プレイルームに行くことが習慣になり、支援学級の先生の顔と名前も覚えた次男(彼は基本的に、自分が興味のない人の名前は全く覚えません)。
運動会が終わった次の週から、次男はプレイルームだけでなく、支援学級の教室に行くようになりました。
3、4時間目だけお試しで行ってみる筈が、「給食も5時間目もここ(支援学級の教室)にいたい!」と次男から言い出したのです。
それから、今では毎日5時間目まで支援学級で過ごしています。
支援学級の先生から「慌てずやっていきましょう。次男さん、お母さんが学校にいてくれるから、やれてるんだと思います」と言われているので、その通りに進めているところです。
次男のこれからについて
入学式も始業式も運動会も参加出来なかった次男。
でも、次男の新しい生活は始まったばかりです。
予定では、夏休み前くらいまでに支援学級で勉強出来るように交流して行く筈が、こんなに早く慣れてしまって逆に心配な気持ちもありますが、「次男が楽しく過ごせているならいいや」と考えています。
次男が、こんなに早く学校に行けるようになったのは、先生方の協力があってのことです。
本当に良くしていただいて、感謝しかありません。
しかし、支援学級で勉強出来るようになったからと言って、もう何も心配がなくなるわけではないです。
これからも、次男の1番近くで見守り続けていきたいと思います。
まとめ
次男は保健室登校を経験し、支援学級へ行くことになりました。
まだ支援学級と普通級の違いを、次男はきちんと理解していないかもしれません。
また、今は学校に毎日登校出来るようになる為の交流で、正式に支援学級に籍をおいたわけでもありません。
次男にそういうことが理解出来る日は、きっとまだ先のことだと思いますが、彼の居場所が見つかっただけでも、本当によかったと思っています。
次男が「ママはもう来なくてもいいよ」と言ってくれるまで、1番近くで応援していこうと考えています。
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