「妻はADHDかもしれない」と思っても、「どうも教科書的なADHDの姿とは違う」……そんな場合にどんなふうに対応したらよいか等、妻がADHDである私の体験談を交え、ご紹介いたします。
このページでは、一般論では語れない「ウチの妻」「ウチの夫」とのつき合い方について綴っています。
「配偶者がADHDかもしれない。でも、本に書いていることとは少し違う様子が見られる気がする」という場合は特に、参考にしてみてくださいね。
大人のADHDの分かりにくさ
多様な現状や行動
ADHDの名が広く知られるようになったのは、1997年に出版された司馬理英子著「のび太ジャイアン症候群」のおかげです。
その後、今はASD(自閉症スペクトラム症)と呼ばれるようになったアスペルガー症候群や高機能自閉症、そしてLD(学習障害)の概念が入ってきて発達障害という名でひとくくりにされると、あの「分かりにくい」「不可思議な」「少々困った」子どもや配偶者が鮮やかに説明されるようになり、発達障害の学習は一気に進むようになりました。
特に子どもの発達障害については「親の躾や教師の指導力のせい」と誤解されることが多かったため、しっかりと勉強することで数々の問題を解決していくことが可能です。
しかし、発達障害に対する研究が目覚ましい進展を見せる反面、「うちの子」「うちの生徒」「うちの配偶者」の『生活改善』という点では現在もはっきりとした答えが見つかっていません。
どれほど多くの本を読み、どれほどたくさんの講演会に行って話を聞いても、「対処法」「改善の方法」という観点からはさっぱりピンとこない、どうしたらいいのか分からないといった状況が今も続いています。
それは、ADHDをはじめとする発達障害を持つ人たちの具体的な状況や行動が、あまりにも多様で多彩だからです。
「注意欠陥多動性障害」という名称が混乱を招く
「ADHD(注意欠陥多動性障害)」と表現されることがしばしばありますが、これはあくまでも大枠を言っただけで、必ずしもすべてを説明する用語というわけではありません。
前半の「注意欠陥」はそれだけを聞けば「注意力が足りない」「散漫だ」といった印象になりますが、逆に一点に集中しすぎて他に意識が行かない「注意欠陥」もあります。
本来は必要に応じて広がったり狭まったりしなければならない注意力が、著しくバランスを欠いている状態が「注意欠陥」なのです。
ですから、セカセカしたタイプとぼーっとしたタイプの二種類があって、しかも程度に差があります。
人によって、特性の出方がまったく異なっているのです。
さらに「多動性」の人も、子どもだったら授業中に立ち歩くといった分かりやすい姿になって出ますが、大人の場合は日常のしぐさの中に紛れ込んでしまう場合が少なくありません。
例えば
- 貧乏ゆすりのなかに隠してしまう
- 会議中に激しくメモをとることでごまかしてしまう
といった具合に、一見「多動性」だとはわからない人もいるのです。
さらに、ADHDの大きな特徴である「衝動性」が「注意欠陥多動症候群」という言葉の中から抜け落ちてしまっていることが一番の問題点です。
上記の事柄から、「何か問題がある」「この衝動性は普通じゃない」と思った相手に対して、ADHDという用語がすんなりと浮かんでこず、見落としてしまうこともあるのです。
「重複障害」と「程度の差」
発達障害を複雑にする二つの要素があります。
まずひとつは、重複障害という問題です。
代表的な三つの発達障害、ADHD・自閉症スペクトラム症(ASD)・学習障害(LD)を重なりあう三つの円であらわした図はよく見かけるものです。
多くは重複部分が同じ大きさになるよう平均的に描かれていますが、例えばADHDのみの人と自閉症スペクトラムのみの人が同数いて、重複して持つ人も同じ人数ということではありません。
発達障害を抱える人は大多数が重複障害である場合が多いのですが、ひとつの要素が圧倒的に強いため、障がい名はひとつだというケースが大半を占めています。
また、どの障がいも、その特性がハッキリとわかるほどに重い場合もあれば、ほとんど気付かれないほど軽い場合もあります。
その「重複障害」と「程度の差」がさらに問題を複雑にしています。
「大人の発達障害」は発見され難い
「人生経験を積むにしたがって自然に訓練を重ね、次第に社会性を身に着けて障害をコントロールできるようになる/コントロールされているから発見しにくかった」ことが、大人の発達障害が発見され難いひとつの理由です。
ADHDの場合、「多くの人と触れ合う中で、衝動性を子どもの頃よりも抑えられるようになった」というケースもしばしばありますが、それでも衝動性がゼロになったわけではありません。
さらに、大人には「自分に合った生活を送ることができる」という有利な条件があるために発見しにくくなっているという理由もあります。
子どもの場合、小学校に上がったとたんに座学中心の生活を強いられるため、多動の子は我慢しきれず教室をうろつきまわったり、他の子ちょっかいを出したりといった形でその子が持っている「多動性」を見つけやすくなりますが、大人の場合は一日中うろつきまわり、あちこちにちょっかいを出すこと自体が仕事であるような職業もかなりあるのです。
例えば、一日中店内を歩き回り、商品棚をチェックして不足を補い見栄えを良くし、会計にお客様が向かっていると気づけば素早くレジに向かって移動し、愛想よく対応する……そういったことのできる店員を私たちは「熱心な店員」あるいは「優秀な店員」と呼んだりするでしょう。
知りたいのは一般論じゃない
非常に複雑で繊細な違いを見せる障害ですから、いくら本を読んでも話を聞いても「なかなか自分の求めているものが得られない」「しっくりこない」「役立たたない」となってしまいます。
原理・原則といった普遍的なものから、「我が家の夫」「我が家の妻」といった特殊性を紡ぎ出すのは容易ではありません。
例えば「この人は基本的にADHDだがその方向は不注意優先型(注意欠陥多動性障害のうち、注意欠陥の傾向が特に強い)でしかも衝動性も強い。自閉症スペクトラムの傾向もあって10点満点の2点くらい、LDは耳からの情報が入りにくい」といった分析ができたとしても、明日からの生活にどう生かしたらいいのかは全く別問題。
これだけの条件にぴったりと、完全に重なる人格があってそれについての専門書でもあれば違うかもしれませんが、そんな偶然は滅多にあるものではないため、結局は個別の問題としか言いようがないのです。
私たちが知りたいのは、どこかの誰かとのつき合い方ではありませんよね。
現実に、家に帰るとそこにいて、ときどき訳の分からない困ったことをする、不思議な配偶者をどう扱ったらいいのかという、今日明日の問題なのです。
どうしたら良いのでしょう?
答えは簡単です。
何が困っているかを明らかにして、対症療法のようにひとつひとつに当たるのです。
配偶者のADHDを観察する
何が困っているのか整理してみる
ここからは妻がADHDである私の体験を交えてお話しします。
まず最初にあげられる特性が、強い「衝動性」です。
思ったことや、思ってもいないことまですぐ口にします(思ってもいないことについてはあとで説明します)。
事故も多く、車をしょっちゅう擦っていますが、これは不注意というよりは「ひっかかりそうだな」と思う狭い道でも「行っちまえ!」といった感じで突入するためで、むしろ衝動性によるものだと感じています。
そして、「注意欠陥」という面から見ると、何かに集中して他が見えなくなるという場合があり、「多動性」は「凄まじく仕事をする」という形で出ているように感じています。
そのため、職業人としては、非常に優秀な人材と思われて働いているみたいです。
それから、下記の特性から彼女には自閉症スペクトラム症の傾向もあるように感じています。
- 自分の計画通りに進まないことに苛立つことがある。
- 他人の気持ちを読み誤ることもありますが、概ね許容の範囲ともいえる。
- 整理整頓が苦手で、タンスや引き出しの中がグチャグチャ。
- 「計画通り」ということも苦手で、そもそも計画を立てない。
- せっかちの早飲み込みで確認ということを怠る傾向があり、重要な会議の日時を誤るということはたびたび。
ただ、せっかちなため、1時間早く行ってしまった、1週間先に来てしまったという無駄足はあっても、日時を過ぎて無断欠席してしまい他人に迷惑をかけるということはありません。
子どもの頃は忘れ物が多かったと言いますが、大人になり、仕事に関係するありとあらゆるものを持って自家用車で移動するようになると、忘れ物はあまり問題にならなくなりました。
LD(学習障害)の様子はみられません。
さて、こういう人と家庭生活を送ると、どういうことになるでしょうか。
下記に詳しく綴っています。
ADHDを妻に持つということの意味
妻はたびたび「銀行にお金を下ろしに行ってくる」といって出かけたきり、戻ってこないことがあります。
銀行までの距離や手続きの時間を大雑把に計算して、「これくらいで帰ってくるだろうな」と想像するのですが、妻は2時間経っても3時間経っても、時には5時間経っても戻ってこないことがあるのです。
結婚当初は本気で心配したものですが、今は彼女に何が起こっているか大体わかっています。
- 突然買わなければいけなかったものを思い出して、そのあとさらに次々と必要なものを思いついて衝動の赴くまま、様々なお店を回っている。
- おまけに気の散るタイプなので、多少値が張るものだとなかなかひとつに決められない。
- 同じ商品をあれこれ引き比べながら何軒も何軒も回っているに違いない。
衝動買いはADHDのひとつの特徴で「高価な宝石を次々と買って」といった悲惨な話はよく聞くところですが、幸い妻には倹約家というもうひとつの大きな特徴があるため、それがストッパーとなって貯金を使い果たす危機からは免れています。
しかし、「安い」というだけの理由で必要のないものを衝動買いをする傾向は妻にもあります。
- 子どもの頃から母親に「お前はひとこと多い」と言われてきたみたいですが、確かにひとこと多い。
- 大事なことを家族に相談せずに決めてしまうことがある。
- つまらないことでやたらと怒るふしがある。
「怒っているわけじゃない」と妻は言いますが、私には怒っているようにしか聞こえません。
妻が怒らないようにと考え、決めたルールが我が家には山ほどあります。
いつの間にかできあがった「妻への対応策」により、我が家はバラバラになることなく、まわっていったのです。
また、ADHDを含め、発達障害者が何気なく言う「トゲのある言葉」には、私たちが考えるほど深い意味はないのです。
配偶者のADHDとどう付き合っていくか
具体的な対応策を考える
妻はしょっちゅう車で自損事故を起こします。
その点については、車のサイズを下げることで半分くらい解決しました。
しかし、もっと効果のあった自損事故を減らす対策法は、意外なことに「エコカーに乗る」という選択でした。
走行中に刻々と表示される燃費は私にとってはうっとうしいものでしたが、倹約家の妻には安全運転を強制する強力な道具となったのです。
サイズの小さなエコカーに替えたことで、ここ数年は修理の必要な事故は一度も起こしていません。
また、スケジュール管理のできないことについては、カレンダーに付箋をつけることで対応できています。
書き込みのできる大判のカレンダーを居間に掛け、妻はピンク、私は黄色の付箋を予定のある日の欄にただ張っていくのです。
内容をきちんと書けばもっといいのですが、もともとそういうことができず苦労しているため、付箋を貼るくらいが精一杯。
毎日カレンダーを見てはそこにピンクがあれば、「今日、何かあるよね」と私が声を掛けるのです。
内容を覚えていればそのまま、覚えていなかったらそこから確認しても、たいていは間に合います。
それに毎日カレンダーに目をやる癖がつくと自然と「明日、何があるんだっけ」といった会話になり、無理せずともスケジュールが確認し合えます。
物事には具体的対応策のあるものとないものがあり、また、あってもそれが見つかりやすい場合とそうでない場合があります。
しかし、家族にADHDをはじめとする何らかの問題があると分かったら、具体的に洗い出して工夫してみることはとても重要なことですね。
夫婦なんだから協力する
私も実は整理整頓が苦手で、机の上も引き出しの中もゴチャゴチャしていて年中ものを探しているような人間でしたが、それでも妻とは質が違います。
その理由は、妻はADHDであり、私はだらしない無精者だからです。
さて、そのことを前提に、これから整理整頓の修行をするとしたら妻と私のどちらに可能性があるのか/伸び代が大きいか……、当然、私です。
ですから、家庭内を乱雑で生活に支障をきたすようなら、私が頑張らなくてはならないのです。
それが理にかなったやり方です。
ただし、夫婦共稼ぎで家事もずっと分担してやってきた私としては、自分の負担ばかりが増えるのもかないませんし、無理をして行うことは長続きしないと思っていました。
そこで考えたのが、機能分担です。
掃除や洗濯、といった具合に内容で分けるのではなく、「整理整頓とそれ以外」と分類して、前者を私が受け持つのです。
💡具体例
- 食事の場合
- 調理は妻
- 後片付けは私
- 洗濯の場合
- 洗濯機で洗い、干すところまでが妻
- 洗濯物を取り込んで畳み、タンスに整理して入れるまでが私
- 掃除の場合
- 掃除機をかけるのは妻
- 部屋の片づけが私
夫婦で協力して家事をこなしていくことで、お互いにストレスの少ない生活を送ることができます。
「なんて言ったってADHDだもの」…諦めなければならないことも多い
もちろんすべてがうまくいくとは限りません。
買い物に出たきり帰ってこないことや安物の衝動買いなどに関しては、帰ってこないと言っても、この国にいる限りは事故や事件でひどい目にあっている確率は極めて低いため心配するだけ損ですし、衝動買いも安物であるうちは「趣味の範疇だな」と言って余裕を見せることもできます。
ですが、妻は私の話をなかなか聞いてくれないことについては少し困ってしまいます。
注意欠陥ですから、何か仕事をしていると気持ちがかかりきりになってしまい、私の話など上の空、そして、多動ですからいつでも何かの仕事をしています。
したがって、横合いから声をかけても何も入っていかないのです。
では、夫婦の会話はないのかというと、そんなことはありません。
妻に「話したいこと」があれば、それを話すことが彼女の仕事となって私に集中してくれます。
ただし話題はあくまでも妻の「話したいこと」であって、私の「話したいこと」ではないのです。
「自分の話したいことは話すのに相手の話は聞かない」というのは、普通だったら「なんてワガママな女だろう」ということになりますが、ADHDである妻の場合は違います。
それが、障害特性なのです。
妻が私を疎んじているわけでもバカにしているわけではなく、その特性により、自然と耳が半分ふさがってしまうのです。
したがって、これも諦めなければならないことです。
私はそんなとき、心の中でおまじないの言葉をつぶやきます。
「なんて言ったってADHDだもの」……このおまじない、けっこう効きますよ。
向いている仕事を任せる
先に私は、一日中店内を歩き回り、商品棚をチェックして不足を補い見栄えを良くし、会計にお客様が向かっていると気づけば素早くレジに向かって移動し、愛想よく対応する――そういうことのできる店員を私たちは「熱心な店員」あるいは「優秀な店員」と呼んだりするだろうというお話をしました。
それは家庭においても同じです。
妻には、「ADHDだから優秀」という側面もかなりあるからです。
例えば「ものの値段に詳しい、安い店を知っている」ということ。
しょっちゅうあちこちの店に行ってあれこれ比べていますから、自然とそうなりますね。
また、ADHDの特性から、家事をしていて何かが足りないとさっと買いに行くフットワークの軽さもあるのです。
しかし、何と言っても妻の優秀なところは、マルチタスクの能力です。
例えば
- 夕食が終わって片付いた食卓の上に、持ち帰りの仕事を広げる。
- その仕事をやりながら続き物のテレビドラマを見る。
- その両方をしながらお勝手に立つ、冷蔵庫を除いて食品のチェックをし、賞味期限の近づいたものを取り出して何かを作り始める。
- いったん戻って仕事の続きをしてドラマの進捗状況も確認し、またお勝手に向かう。
- 何品かの料理を作って冷えるのを待ってタッパーに入れ、冷蔵庫に戻す、また仕事に向かう。
こんな調子で自分の仕事を片付け、人との会話についていける程度にはドラマを鑑賞し、しかも料理が揃う。
おそらく家庭料理で朝食でも夕食でも、15分あれば6品から7品の料理を揃えることができるという早業は、なかなかできないことかと思います。
常に作り置きを作っていないと気の済まないADHDだからこそ、できることだと思うのです。
要するに、ADHDである彼女に向いた仕事を任せればいいのです。
まとめ:家庭には限界もある
前半で「ウチの配偶者のADHDをきちんと説明して、対応策を示してくれるなにものもない」という現状を、なぜそうなのか、どう考えたらいいのかという面からお話しし、後半でADHDである妻の姿と私たちの対応を通して、ADHDの配偶者とどう付き合っていったらいいのか、その一部を紹介しました。
妻はADHDで、そしておそらく軽度の自閉症スペクトラム症も持っています。
しかし、自閉症スペクトラム症に関して、医者の診察を受けたことはなく、今後もかかるつもりはありません。
それは正式な診断を受けることで、私たちに何か有利な状況が生まれるとは思えないからなのです。
病院にかかり、薬をもらうという選択もありますが、それはADHDを根本治療するものではなく、薬の効いている間に環境調整やソーシャルスキルトレーニングなどを行おうというもので、ある人の言葉を借りれば「これは人の話が聞けるようになるためのお薬」であり、話が聞けなければどんなトレーニングもできない、だから服薬する、そういったものなのです。
ADHDをはじめとする発達障害は、基本的には人間関係の中で、周囲の理解と支援を受けながら改善を図っていくものなのです。
夫婦間で言えば、配偶者の支援が決定的であり、そして家庭内で調整していくものです。
それが基本です。
ただし稀にですが、例外もないわけではありません。
これは知り合いの女性から聞いた話ですが、彼女の夫がADHDの特性を見せ、しばしば非常に危険だというのです。
例えば高速道路を制限時速ぴったりで走っていて(それ自体が変と言えば変ですが)、さらに遅い車に追い越しをかける際も制限時速を全く越えない。
それはそれで法律上はむしろ奨励されるべき事柄なのですが、ある日そんな状況で追い越し車線を走っている時、後ろから激しく煽られるということがあったようです。
パッシングを繰り返しクラクションを鳴らし、それでも彼は制限時速を越えない。
ようやく遅い車を抜いて自分も走行車線に戻ると、煽っていたはずの車があろうことか前にかぶさり、急ブレーキを踏んだり車線をふさいだり……、その瞬間に彼のスイッチが入るのです。
あれほど頑固に守っていた“制限時速”は簡単に破られ、今度は彼が煽っていた車の前に出ようとして急加速と急ブレーキ、急ハンドルを繰り返します。
それでもダメだと分かると今度は体当たりを敢行しようとしたりする。
後部座席でから妻である私の友人がやめるように叫んでも、「悪いのはあちらだ! 懲らしめてやる」といった調子で辞めてくれないのです。
最後は相手がこちらの意図を察し、恐れをなして猛スピードで逃げてくれたからよかったものの、一歩間違えば大事故になるところでした。
彼女が後部座席にいたのは、隣のチャイルドシートに新生児を乗せていたからです。
そんな状況でも、いったんスイッチが入ると止まらないのです。
ここまでくると、配偶者のADHDも家庭内の問題ではないため、相談できるところには片っ端相談し、医者も、本人が行かなければまず配偶者一人でも出かけ、なんとか状況を替えなくてはなりません。
家庭内に留めてはいけない場合もありますから、そのことは常に心の片隅に置いておくとよいですね。
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