発達障害児を育てていると、子どもが驚くような行動を取ったり、発達障害児特有の「こだわりが強い」という特性から、同じ道を通りたがったり同じ遊びを何度も繰り返したりと「自分ルール」に忠実に生きることでお友達と言い争ってしまったりといった場面に遭遇することがよくありますよね。
その行動は普通の育児書の発達段階とは違うことも多く、「うちの子はどうして……」と感じ、診断につながるケースもあります。
私の息子たちも、長男が小学校一年生の時の担任に「みんなと違いすぎる」と言われたことが診断を受けるきっかけとなりました。
長男はアスペルガー症候群とADHD、4つ年の離れた次男は広汎性発達障害とADHDと診断されています。
診断名が付くと、今度はその診断名についての書籍を手に取った親御さんも多いのではないでしょうか。
しかし、同じ診断名が付いていて、同じ親から産まれた息子たちですが、特徴として現れるものは共通するものより、むしろ違うことのほうが多いのです。
そのため、診断名だけでは、一概に「こういう行動に出ることが多い」「この方法が効果的」とは言い切れないのです。
ここでもまた、本に出ているのと違う、という印象を受けますよね。
私の息子たちの実例をもとに、子どもたちそれぞれの困り感からくる特徴的な行動、またその時に効果的だった方法などをお伝えします。
「うちの子は本に書いてあるのと違うな、どうしてなのかな」と感じている親御さんにもそれぞれ違っていてもいいのだと安心していただけるのではないでしょうか。
ADHDの3つの特性
私の息子たちはADHDの診断がありますが、ADHDには3つの大きな特性があり、それらが混合している場合が多いです。
長男と次男では、全く違うタイプの特徴が出ています。
下記にADHDの3つの特性について、詳しくご説明いたします。
✔ 多動性
歩き回ったり、体の一部を常に動かしていたりしないと落ち着いていられないといった特性です。
- 静かに座っていなくてはいけない場面でもそわそわと体の一部を動かしてしまう。
- 授業中などに立ち歩いてしまうことがある。
- 静かにしていなくてはならない場面でも、おしゃべりがやめられない。
などがあります。
✔ 衝動性
衝動に突き動かされて、考えるより先に体が動いてしまうといった特性です。
- 喧嘩になった時にカッとして手が出てしまう。
- 授業中に質問されたときなど、指名を待たずに答えてしまう。
- 試験の問題を最後まで読まずに回答してしまうため、うっかりミスが多い。
などがあります。
✔ 不注意性
注意欠陥性障害と呼ばれていたこともあるように、不注意によるミスが多く現れるといった特性です。
- 忘れ物や無くし物が多い。
- 何かやりかけのことがあっても、他のことに興味をそそられるとそちらに行ってしまう。
- 片づけが苦手。
- 一つのことに集中するのが難しい。しかし、自分の好きなことにのめりこむと切り替えが難しい。
などがあります。
📌我が家の場合
次男は多動性が強く出るタイプで、ハイハイの頃から、公園などで遊ばせていると一人でどこかへ行ってしまうこともよくあり、手をつなぐことができるようになるまでは、走って追いかけるということがよくありました。 そんなふたりが、どのように小学生までを過ごしてきたのか、また、その時に効果のあった対応方法をお話しします。 診断を受けるときに乳幼児期の発達についてのチェックリストがあるのですが、今振り返ってみると、いくつか気になる点があったのです。 下記に私が特に気になった「発語」と「一人歩き」について、詳しくご紹介します。 しかし、今思えば、長男は喃語(なんご:赤ちゃんが発する「あーあっ」「うーうー」などの声)があまり出なかったように記憶しています。 当時あまり気にならなかったので誰にも相談をしませんでしたが、もしかしたら発達障害の症状のうちのひとつだったのかもしれません。 私にとってはひとりめの子であり、初めての経験であったこと、そして、長男はとてもおとなしく、よく寝てくれる赤ちゃんでしたので、特に心配していませんでした。 その後も、長男は少し言葉が遅いと感じていましたが、1歳半検診を前に一気におしゃべりができるようになり、指さしやこちらの話を理解する度合いは心配が無く、検診でも引っかかることもありませんでした。 しかし、他のお子さんたちに比べたら単語を話すようになるのは遅かったので、もしかしたらそれも発達障害の兆候のひとつだったのかもしれません。 対して次男は、3ヶ月頃から、「あー、うー」と喃語がよく出て、起きているときはひとりでごきげんにおしゃべりをしているような赤ちゃんでした。 次男は1歳半検診の頃にはしっかりおしゃべりをしていたので、下の子は言葉も早いというのはあながち間違いでもないのかなぁと感じていました。 しかし、1歳半検診の時もじっとしていてくれず、周りの子がおとなしくしている中、ひとりだけ走りまわり、静かに待つことができなかったため本当に大変でした。 これも今思えば、ADHDの多動性のあらわれだったのかもしれません。 長男は、1歳になった頃から手をつないであげれば歩くことはできたのですが、その手を離すことがどうしてもできず、一人で歩けるようになったのは周りよりかなり遅めでした。 今思えば長男は手を離すことが怖かったのでしょうが、当時はなかなか歩けないことに不安を感じていました。 次男も遅めでしたが、その代わりに、ハイハイの頃から公園で迷子になれそうなほど多動の傾向がありました。 ハイハイでの移動に不便を感じていなかったので、歩く必要がなかったのではないかと当時から思っていました。 何をさせようと思ってもイヤといって泣いたり、「買って買って」と駄々をこねたり、いわゆる魔の2歳児とよばれる時期です。 長男の場合、自己主張が大音量で泣き叫ぶ「パニック泣き」でした。 「お出かけするよ」と誘ってもパニック泣き、公園から「帰るよ」と言ってもパニック泣き。 当時の私は正直なところ、虐待でもしているのではないかと思うほどの大音量で泣かれるのがとてもつらく、出かけることがおっくうになり、家に引きこもっていたいと思ってしまうほどでした。 今思うと、少しノイローゼ気味になっていたのではないかと思います。 次男が2歳を迎えた頃に、長男のアスペルガー症候群とADHDの診断が出ました。 長男への対応に困っていたこともあり、児童相談所の行っているペアレントトレーニングを受けることにしました。 ※ペアレントトレーニングについては、『ペアレントトレーニングとは』にて詳しくご紹介いたします。 ペアレントトレーニングを受けた時期から、長男のみならず、次男への接し方も丁寧になっていったと記憶しています。 次男が2歳になっても、それほど苦労することがなく日々を過ごすことができました。 市区町村の主催や、各クリニックで行われている場合もあります。 対象は発達障害児を育てる親御さんであることが多いですが、発達障害をもたないお子さんたちにもとても有効な手法ですので、私は息子たち両方に対して行っていました。 子どもの問題行動にはきっかけがあり、子ども自身がそのきっかけに対して困って問題行動を起こしてしまっているという観点で子どもを観察します。 子ども自身の困り感に気づくこと、そしてその原因を解消することによって、問題行動を減らしていく手法を教えてくれるものです。 ペアレントトレーニングの中でも、次男に特に効果があったのは、予告と承認でした。 📌 予告-予告により見通しを伝える 出かけるときにも、帰るときにも、あらかじめ時間などの予定を伝えていました。 「時計の針がここまで来たら○○するよ」「その次は○○へ行くよ」などと具体的に伝えていたことで、次男は切り替えがうまくできていたのでしょう。 長男だったらパニックになっていた場面でも、次男はパニックにならずに過ごせていました。 📌 承認-スモールステップで褒めポイントを増やす ひとつの目標に対して細かく目標設定をする「スモールステップで褒める」ことも、とても有効でした。 少しでもやったら褒める、むしろ、やろうとしただけでも行動を認めて褒めるという手法です。 褒めると言っても、子どもが求めているのは、自分がしていることを認めてもらいたいという思い、つまり承認欲求をみたしてあげることです。 これは、2歳の子どもにとっても、親に自分を一日に何度も認めてもらえるという大きな意味を持つことだったようで、次男は「いろいろなことで褒めてもらえる」「もっと褒めて!もっとぼくを見て!」と、望ましい行動をすることが多くなりました。 💡 毎朝の着替え 毎朝の着替えは、長男次男ともになかなかすぐに行動に移すことができず、「『早くしなさい』をできるだけ言いたくないけれど、バスのお迎えや集合時間に間に合わなくなってしまう」と、とても困っていました。 朝出かける前に怒られるのは、子どもも怒る親も、気分がいいものではありません。 そこで、“着替える”というひとつの大きな目標を下記のように分け、3つの褒めポイントを作りました。 そして、それぞれ子どもが行動したことを「(私はあなたのその行動を)見ているよ」と承認する声かけをします。 さらに下記のように細かく分けることで、「着替える」というひとつの目標を達成するまでに5つも承認してあげられることになります。 実際はここまで全部を細かく褒めなくても、最初のふたつを褒めた時点で子ども自身がよい気分になり、イヤ!という隙もなく着替え終わっている、ということが多くなりました。 💡 車から降りたら手をつなぐ習慣づけ そんな次男でも多動性はなかなか抑えられず、車から降りるとすぐにいなくなってしまうということが多々ありました。 長男は、一人歩きができるようになってからも、私が見えないところへ行くことがないほどにくっついているタイプだったので、次男は「私がいなくても平気なんだろうか?」と悩んだこともありました。 そんな時も、 などと、スモールステップで声をかけることを繰り返していくと、だんだんと手をつないでくれるようになりました。 「車から降りたら手をつなぐ」が身についてからは、小学生の今でも手をつないでくれています。 私の息子たちも、幼稚園入園以降のお友達とのつき合い方には、いろいろな苦労や困ったことがありました。 下記から、具体例と私がとった対応法を綴っていきます。 長男は、お友達に言葉でからかわれたときに、カッとして手が出てしまうことがたびたびありました。 相手の親御さんに電話をかけて謝ることが何度かありました。 幼稚園の先生達は「このくらいの年齢のお子さんなら『少し元気のいい子』程度ですよ」と言ってくれましたが、この頃から、ADHDの特性のひとつである「衝動性」が長男にはあらわれていたのです。 幸いにも大きなけがをさせてしまったことはなく、謝った際に「子ども同士のことですから気にしないでくださいね」と言ってくださる親御さんばかりでしたが、私は内心気が気では無く、「いつか大きなけがをさせてしまうのではないか」と心配で仕方ありませんでした。 📌対応:本人の気持ちは否定せずに受け入れてあげる しかし、長男が手を出すのには必ずきっかけとなる理由がありました。 「それでも、手を出してしまうのは悪いことだし、いつか相手にけがをさせてしまうかもしれないよ。相手が言葉で攻撃してきたのと同じように攻撃をしても、『自分はイヤな気持になったんだ』ということを相手に伝えないと、また同じことを言われてしまうかもしれない。だから、イヤな気持にさせられたときには、先生やお母さんなど大人に話してね」と何度も繰り返し説明し、お友達のところへ一緒に謝りに行ったこともありました。 小学校高学年になってやっと、そのようなことがなくなりました。 自分の意見をうまく言葉に出すことができず、じっとしていられなくて動いてしまうようでした。 ですが、その場を離れることでクールダウンすることができるため、本人にとっては一概に悪いとも言えない行動でした。 📌対応:基準を作って受け入れる 園から出てしまったりしては危ないので、そういう時には「教室の外に出てもいいけど、場所はここまでにしましょう」と限定して認めてあげることで、だんだんと教室から出ていくことを減らしていけました。 給食で誰かがお箸を落としたことに気が付いて、サッと拾いにいき、流水で洗ってからその子に返してあげるということが何度かあり、「こんなに気の利く子はなかなかいないです!」と先生からお褒めの言葉をもらったのです。 次男はペアレントトレーニングで“承認されることの気持ちよさ”を体感していたので、無意識のうちに自分の多動性を生かし、体を動かして誰かを手伝う、ということのできる子どもに成長しました。 そのおかげで、次男は長男のように頻繁にお友達と喧嘩をすることはなく過ごしていました。 長男は運動会のかけっこで負けてしまうことが本当にイヤで、練習で負けてしまっては大泣き、本番でも走ってくれないのではないだろうかとハラハラしていました。 運よく、初めての運動会本番のかけっこで一等を取れて、それ以来は運動会のかけっこが楽しみ!と言うようになり、安心しました。 また、発表会の演劇では、なかなかセリフが言えないお友達に「早く言えよ~!」と言って泣かせてしまい、私はそのお友達の親御さんに慌てて謝ったことがありました。 長男は思ったことが全部口から出てしまうタイプであり、これもADHDの特徴である衝動性からくるものではないかと思います。 次男は、人前に出ることが本当に苦手で、運動会のダンスでは衣装を着ることもできず、かけっこでは入場の列に並ぶこともできず、結局控え席にいるままで終わってしまいました。 発表会のときも、舞台に上がることができず、本番でも先生の膝に乗ってステージの上にいるような子でした。 それでも、ステージの上にきちんといるだけでも次男としてはがんばっているので、「逃げないでよくがんばったね」と声をかけました。 他の子と比べてではなく、本人が頑張れたかどうかをしっかり認めてあげることが子どもの自信につながります。 しかし、同じ年齢の子がしっかりできていることを、自分の子は参加することもできないというのは本当につらいことで、何度息子たちの運動会が辛くて泣いたかわかりません。 📌対応:幼稚園で加配を付けてもらう 次男は、長男の診察につれて行っていたので、その多動ぶりを見ていた長男の主治医に「次男くんも同じような傾向があるかもしれませんね」と言われていました。 本人が困っていることを理解してもらい、本当はやりたいけどできない、ということをわかってもらえる担任の先生だったからこそ、実現したことであり、自分が頼ってもよい先生がいる、ということは、次男にとってはとても心強いものだったと思います。 また、2年目の運動会も発表会も、園内で行われる予行練習に呼んでいただき、本番でどのような動きをするのか、どこにお母さんがいるのかを詳しくシミュレーションしてもらいました。 そのおかげもあってか、2年目は次男も自信満々で参加することができました。 学校からはいろいろなお知らせのお手紙がきますが、息子たちはそのお手紙を持って帰ってくることを忘れたり、見せてくれるのを忘れたりすることが多く、ギリギリになって見つけるということが何度かありました。 また、「今日○○持っていくの忘れた!」ということも何度もありました。 📌対応:親が見通しを持ってサポートする それでもわからないときは、学校に電話をして確認することもあります。 長男は特に、忘れ物をするとその日の出来事すべてが負のスパイラルに入ってしまうので、忘れ物をしていないか声をかける手助けが必要です。 長距離だということもあり、集団登下校をしていました。 同じ地区にふたつある登校班のうち、違う班中の同級生に、どうしてもそりが合わずすぐに喧嘩になってしまう子がいました。 長男に言わせると、向こうが先に言葉で攻撃してくるからだ、というのですが、手を出して泣かせてしまうので、結果的にこちらが謝っていました。 📌対応:先生に相談する 何度も喧嘩になってしまうため、ふたつの班の下校時間をずらしてほしいと学校にお願いしたのですが「それはできない」と言われ、相手の親御さんにも「安心して下校させられない」と言われてしまい、私は毎日下校時に学校まで歩いて行き、長男と一緒に下校していました。 翌年、教頭先生が変わり、担任も男の先生に変わりました。 「登校班にそりが合わない子がいてすぐに喧嘩になってしまう」と話をしたところ、「それならふたつの班の下校時間をずらしましょう」とすぐに校長先生に話をしてくださり、翌日から私が迎えに行く必要はなくなりました。 ひとつの問題でも、先生によって考え方、発達障害への理解が違いますので、あきらめずに相談し続けることが重要です。 発達障害児達の担当が普通学校となったことに伴って、特別支援学級というクラスがある学校が増えています。 息子たちが入学した学校にも特別支援学級がありました。 長男は小学校1年生の夏に再度アスペルガー症候群とADHDの診断がついたため、特別支援学級には2年生の時に所属となりました。 しかし、国語力がずば抜けている長男からしたら、2年生の問題は簡単なもので、支援学級で過ごす時間が苦痛で仕方なかったようです。 「何で僕だけがみんなと違うところでこんなに簡単な問題をやらなくちゃいけないんだ!」「もう行かない!」と、ほとんど支援学級に行くことがありませんでした。 それ以来、学校での支援に対する拒否感が根付いてしまい、ずっと支援を受けないまま中学生になっています。 それについていけない長男は、成績もがた落ちでつらい中学校生活を送っています。 それでも、学校内で支援されるのは嫌!という強い主張があるので、学校以外のサポートを使っていけるように調整しています。 幼稚園と小学校が合同で運動会をする地域だったので、1年生の運動会は、まったくの初めての運動会というわけではありませんでしたが、それにもかかわらず、幼稚園ではできるようになっていたかけっこも、1年生の時にはまったくできず、加配の先生と手をつないで走っていました。 一度できるようになったことも、環境の変化によってまたできなくなってしまうことがあるのが発達障害児達の難しいところです。 2年生に上がって支援学級の担任が変わり、しばらくは人見知りをしていた次男も、支援学級での学習もそれなりにできるようになってきたところで運動会がありました。 幼稚園の時もそうでしたが、一度経験していることは意外とすんなり受け入れられるようで、2年生のかけっこではきちんとひとりでゴールまで走り抜けることができました。 次男が2年生の秋に転校をして、他県の小学校の支援級に入りました。 そちらの先生と次男の相性が本当によかったのか、10月に転校して12月の学芸会で舞台の上に立ち、ひとりでみんなに聞こえる大きな声でセリフを言う、ということができているのを見た時にはびっくりして、うれしくて思わず泣いてしまいました。 「今まではつらくて泣いていたからこそ味わえる感動だよね」と、前の学校の巡回サポートの先生がおっしゃったことを思い出しました。 似たような「困りごと」に悩んでいる親御さんは、ぜひ我が家でおこなってきた対応策も試してみてください。 我が家でも、やってみてもうまくいかなかった対策もたくさんあります。 あきらめずにいろいろな方法を試していく中で、お子さんに合った対策法が見つかるかもしれません。 発達障害児達を育てていると、親が泣きたくなってしまうような出来事がたくさんありますよね。 本に書いてある通りにしてみても、それが必ずしもうまくいくわけではありませんし、「うちも大丈夫になったから、大丈夫だよ」なんて無責任に言い切ることはできません。 それでも、子どもたちが持って生まれたその特性を一番理解してあげられるのは親御さんなので、一番の理解者として、いつか来る自立の時までをサポートしていきましょう。長男は衝動性が強く出るタイプで、カッとしてお友達を叩いてしまったり、指名を待たずに発言をしてみんなに怒られてしまったり、ということがよくあり、また、やらなくてはならないことを忘れて遊んでしまうことが多々あります。
乳児期の発達
子どもたちを授かった頃、私には発達障害についての知識がほとんどなかったため、乳児期に子どもたちの発達障害を疑ったことはありませんでした。
発語
ふたりとも3500g前後と大きめに生まれ、母乳育児をしており、母子手帳にも「授乳中に目が合いますか」というチェック項目がありましたが、この点はふたりとも問題ありませんでした。
一人歩き
長男が一人歩きをし始めたのは1歳4ヶ月、次男は1歳3ヶ月からでした。
魔の2歳児とペアレントトレーニング
第一次反抗期
2歳ごろになると、どの子も自我が出てきて自己主張をするようになりますよね。
ペアレントトレーニングとは
ペアレントトレーニングとは、ABA(応用行動分析学)の手法を用いた、発達障害児を持つ親御さん向けの学習プログラムです。
「すごいね」「えらいね」と褒めるのではなく、言われたことをやってくれて嬉しい、という感じで「あなたのことを見ているよ」と伝える声掛けをするだけでよいというものです。
「あれ、もう脱いだんだね!」「服の前と後ろばっちりだね~、似合ってるね」といった声掛けで構わないのです。
駐車場で飛び出してしまうと命にかかわりますので、どうにかして車から降りたら手をつなぐ、ということを習慣づけたかったのですが、じっとしているのが苦手な次男は、手をつなぐことが大嫌いで、なかなか手をつないでくれず、苦労していました。
幼稚園時代
発達障害の多くは、集団生活をすることで見えてくるものがしばしばあります。
喧嘩のときに手が出る(長男)
そしてそれは、相手からかけられた『とげのある言葉』であることがほとんどだったため、長男の話はきちんと聞き、「悔しかったんだね」「嫌だったんだね」「傷ついたんだね」と、彼の気持ちを認めてあげる言葉かけをしました。
喧嘩になった時に部屋から飛び出していく(次男)
次男は、お友達と喧嘩になった時や、自分の意見が通らないとき、やりたくないと思っていることをさせられる時に、勝手に教室から出ていってしまうことがしばしばありました。
注意が散漫だからこそ、気が利く
次男のことで、幼稚園の担任の先生から「他の子は気がつかないようなところに気がつくことができる素敵な子です」と言ってもらえたことがありました。
発表会や運動会
幼稚園では、運動会や子どもたちが歌ったり劇をしたりする会がありますよね。
いざ入園してみたら、発表会など苦手なことが多く、参加できない行事も多いことがわかり、2年目からは、加配の先生を付けてもらっていました。
小学校入学から低学年
学校からのお手紙
年間行事予定表を見えるところに貼ったり、スマホのスケジュールに登録したりして、「そろそろこの行事のことを先生が何か言ってなかった?」などと声をかけるようにしています。
集団登下校
長男が低学年の頃に通っていた小学校は、校区が広いこともあり、片道40分程かかっていました。
特別支援学級への所属
支援を拒否する長男の場合
中学からは、ひとりの担任がずっと子どもたちを見てくれるわけでは無く、教科担任制となりますので、それぞれの先生によって違う対応になりますよね。
幼稚園時代から支援が当たり前にあった次男の場合
次男は幼稚園でも加配を付けてもらっていたのですが、小学校入学の段階でも、加配付き、特別支援学級の所属ということにしてもらいました。
まとめ
ここまで、我が家の場合とその時々の対応策をお伝えしてきました。
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