父、母、長男、そして次男である私の4人家族である我が家が抱えている問題は、発達障害の特性がある長兄の家庭内暴力です。
兄が大人の発達障害と診断されたのは、家庭環境が極限まで荒れていた時期でした。
「なぜ暴力行為が収まらないのか」と悩んだ父が、兄を病院へ連れて行ったことがキッカケでした。
この記事は、大人の発達障害者による家庭内暴力に悩んでる人に向けた記事です。
体験談とともに具体的な対策法も綴っていますので、ぜひ参考にしてくださいね。
兄の青春時代
家庭環境が荒れ始めた時期
我が家が荒れ始めたのは、兄が勤めていた会社を辞めてから1年ほど経った頃でした。
「俺がこうなったのは母親のせいだ」と当たり、周りの家具を蹴っ飛ばしたり、部屋の壁を殴ったりと、父親でも止められないほどの暴力でした。
しかし、感覚が麻痺してくるのか、不思議なことに「このような問題のある家なんて珍しくないのではないか」と、楽観的に考えてみようと当初の私たちは考えたのです。
ですが、家族が日常的に暴力をふるうということは、普通(一般的、という意味です)の状態ではありません。
その点を見誤ってしまうと、「気が付いたら取り返しのつかない状態になっていた」なんてことになってしまいかねません。
「日常的に暴力をふるう」ということは異常なことなのだ、ということを頭にいれておかなければなりません。
楽観的に考えず、もっと早く兄に病院に行くことを勧めていれば、私は「帰れる実家が無くなってしまった」と思わなくても済んだかもしれません。
10代の頃
兄は高校を一年で中退しており、その後は通信制の学校に通っていました。
高校を中退した理由は、周りとソリが合わないことと、提出しなければならない課題を提出できず、留年を告げられたことだと言っていました。
通信学校に通い始めてから素行不良になってしまった兄。
毎日のようにガラの悪い友達が家に出入りしたり、コンビニでバイトをしては勝手に店のホットスナックを食べてクビになったり、警察から万引きで捕まったと連絡が入り、両親が警察署に赴くということもありました。
当時中学生だった私は、そんな兄に心底愛想を尽かしてしまい、直接何か喋ろうとも思えず近づかなかったのですが、「きっと、自分が知っていること以外にも何かあったんだろうな」と最近になって考えることがあります。
思えば、自分たちが気が付かなかっただけで、あの頃の兄の行動も発達障害によるものだったのかもしれません。
そんな兄が、通信学校を卒業し、工業系の専門学校に通い始めたとき、状況が少し変わったのです。
兄は身だしなみも落ち着き、学校にも毎日通い、家事を手伝うなど、素行不良だったときからは考えられないほどの変わりようでした。
そこに以前までの反抗期真っ盛りだった兄の姿はなく、家族みんなが驚くほどの変化だったのです。
兄の中で何かが変わったのかなと思いました。
実家に遊びに来る祖母ともよく話し、自分で料理をするなど、素行不良だった頃の面影はありませんでした。
両親、そして私も兄とよく喋るようになり、一緒に買い物に出掛けたり遊びに行ったりするようになり、家庭内が最も落ち着いてた時期だったと今はそう思います。
当時は「反抗期って収まるんだな」と感じていましたが、きっとその頃の兄は、発達障害の特性と環境が合っていたのだろうなと思います。
学生から社会人へ
専門学校卒業後、兄は工場に就職しましたが(勤め始めた時はほとんど何の変化もなく、穏やかな日々が続いていました)一年半後に辞めてしまい、その直後から兄を見ていると「ん?」と引っかかる点が見られるようになったのです。
兄が社会に出てからは、学生時代と違って本人から気持ちを聞くことができていたのですが、兄の気持ちを聞けば聞くほど「もしかしたら、仕事をする気が兄にはないんじゃないか?」「兄には『仕事をする』ことの具体的な理由が見えてないのかもしれない」と私は感じていました。
また、過去に非行に走った兄の姿、そして変化を遂げた兄の姿を見ていた自分には「変わったとは言っても、兄が辛抱強くひとつの仕事を続ける、なんてことは、もしかしたら無理なことだったのかもしれない。でも、転職する意思はあるのだから、やる気がないわけではない。兄に合う職場が見つかれば落ち着くかもしれないな。きっと大丈夫だろう」と思っていたため、兄の話を聞くだけに留まっていました。
交友関係に関しても、私自身が【人付き合いは無理に持たなくてもいい】というタイプだということもあり、心配するほどのことではないだろうと思ってはいたのですが、「それまで交友のあった人たちとの関係を急に切ってしまうことはちょっと引っ掛かるな」とは感じていました。
その頃のことを考えると、冷静に話ができる時にもっと色んなことを聞いておけばよかったと後悔しています。
というのも、兄が、仕事が続けられないこと、その原因である職場で揉めることについて悩んでいたという事実を、あとになって知ったからです。
兄には見栄を張る癖があったので、「どうせまた口論にでもなったのだろう」と呆れて話をすることをやめてしまったこともありました。
あの時、兄の気持ちを真摯に受け止めず、そして意見を言わなかったことを申し訳ないなと今は思っています。
家庭環境のどん底と「発達障害」との出会い
就職試験を受けては辞めてを繰り返し、職を転々とし、家に帰ってきては荒れる兄。
そんな負の連鎖に陥っていたことに気づいたのが、兄が最初の職場を辞めてから二年が経った頃でした。
なかなかうまくいかない就職活動中、兄はだんだんと家に引きこもりがちになり、仕事から帰ってきた母に当たるようになっていったため、兄の話し相手になれるのは父だけでした。
兄は、「家族なんて嫌いだ」「嫌いなやつしかいない」「俺がこうなったのは今まで関わってきたやつらのせいだ」と文句を言い続けていました。
父はそんな言葉を聞いてはいつしか怒鳴り声をあげるようになり、母は部屋に引きこもって「いつか殺される」と泣いていました。
そんな家族を見ていることが本当につらかったです。
兄が部屋で物を投げつけている音や、両親の怒鳴り合いで目が覚める毎日。
両親は私に「心配するな」「いつか終わる」「お前は手を出すな、これは親の仕事だ」と言っていましたが、私自身も限界でした。
兄貴のイラつきはおさまらず、毎日帰りたくない家に帰るこの環境に、終わりが来ることは無いのではないかと本気で思っていました。
そんな日々が続いていたある日、深夜にタバコを吸おうと外に出た際に父と鉢合わせ、久しぶりに落ち着いて父と話をすることができました。
その時に父は、「実はな、兄は大人の発達障害ってやつなんだ」と私に話してくれたのです。
父は前々から「もしかして精神的な何かを抱えてるのでは?」と兄に対して思っていたらしく、仕事を休んで兄を精神科に連れて行ったのだと言っていました。
そこで診断された結果が「大人の発達障害」。
私は父と話した後、発達障害について調べ、これまでの兄の行いを思い返し、心当たりがいくつかあることに気が付きました。
- 何を聞いても「わからない」と返す。
- 人の気持ちを上手く考えられず、相手に合わせることが出来ない。
- 相手と目を合わせて話せない。
- 「常に誰かに見張られている気がする」との発言。
「あ、兄は発達障害なんだ」と色々なサイトを見て納得し、「やっと原因が見つかった」とも思いました。
兄の行いに名前が付いただけで、これからどう対応していけばいいのかの手掛かりを掴めた気がしたのです。
家庭内暴力の対策
お互いのための行動へ
一時期でも穏やかな兄の姿を見ていた私たちは、どうやったら穏やかな兄との生活に戻れるかを考えました。
病院に無理矢理連れて行くこともできず、また、薬を処方されても飲むように説得することもできず、情けない話ですが、手が付けられない状態でした。
そこで、私たちは以下を行いました。
- 兄との会話を録音し、精神科の先生に聞いてもらう
- 警察に相談する
- 家族を別居させる
最初は「こんなことってやっていいのか?」と話し合ったものですが、しかし、当時の私たちには余裕がありませんでした。
おさまるどころかエスカレートしていく兄の暴力の矛先は両親へ。
時には私が幼い頃から使っていた家具や、壁を殴り穴を開けることも。
「俺のことを監視してるだろ」「俺は障がい者じゃない、おかしいのは周りのやつらだ」と怒鳴る兄。
発達障害だと知ってから一年半、限界だった私たちに残された方法は上記の三つだけでした。
下記から、その三つについて具体的にお伝えしていきます。
兄との会話を録音し、精神科の先生に聞いてもらう
録音した会話を先生に聞いてもらう理由は「発達障害である兄の考えていることに近づくため」です。
全く理解ができない兄の発言と行動はどんな思考回路から出てくるのか、ということを教えてもらいたくて、私たちは先生に相談をしました。
「手が付けられない状況にまで至ってしまった今、兄と話をすることが直接的な解決に向かうわけではない」と私たち家族は頑なに思っており、自分たちがどんな行動をとるべきなのか、家族間だけでは出ないヒントをもらいに先生のもとへ通い続けました。
「一番は直接本人と話をすること。それが間違いない解決法だろう」と先生はおっしゃっていましたが、録音した会話を聞いてもらうことに関しては「もう全く手が付けられないなら仕方がない」と納得してもらい、会話を聞いてもらったうえで、助言をいただいたのです。
先生から「お兄さんの母親に対する恨みつらみは愛情の裏返しです。話をする機会を作ってみなさい」と言われた時は目から鱗でした。
警察に相談する
警察署にある生活安全保護課は、家庭内問題を抱える家族にも対応した部署であり、その手の問題のプロです。
私が警察署に赴き相談をさせてもらった時、親身に対応してもらいました。
その時、「もし家庭内暴力で通報された場合、到着した警察が現場を検証してから執行になります。その後の対応としましては、酷い状況であった場合、施設に入所させなければならない規則が警察にはありますので、もし今後ご家庭で問題が起きましたら御連絡ください」とアドバイスを貰いました。
「警察に行くなんて酷い。家族を加害者扱いするなんて」「教育上の過失は親の責任だ」という声もあるでしょうが、そこまでの対応をしなければならないのではないか、と私は思うのです。
家庭が荒れ始めてその時もうすでに五年以上が経っていました。
私たちも「家族で解決しなければ」と考えて行動していましたが、家庭内だけでは手に負えない状況になってしまうこともあるのです。
事実、家族全員が精神的に辛い状況におちいり、私自身も精神科に通っていました。
「家庭内で解決する」ことは勿論大切なことであり、親の責任でもありますが、しかし結局のところ私たちは素人でしかないため、専門家に頼ることも時には必要であり、重要なことなのです。
恐らく「専門家に頼る」という点で悩んでる人も多いのではないかと思います。
実際に、私と同じような経験をした人から聞いた話を例に挙げ、プロに頼ることの大切さをお伝えします。
本人から聞いた家庭の話ですが、話してくれた人も私と同じように「兄が荒れている家庭」で育ち、非常に苦労をされていました。
ある日仕事から帰宅したら、その人のお兄さんが母親を土下座させている現場を目撃したのだというのです。
その人は救急車と警察を呼び、お兄さんは病院へ入院することに。
主治医をはじめとする医療チームと家族に支えられ、退院したお兄さんは無事社会復帰することができたそうです。
警察を呼ぶことに関してはためらいの気持ちもあったかとは思いますが、結果的に警察へも連絡したからこそきちんと家族が向き合うことができ、お兄さんを支えることができたのだと感じました。
発達障害者本人の為にも、家族全員の為にも、プロに対応してもらう方法も頭に入れておくとよいですよ。
家族を別居させる
兄と父は2人でまだ話せますが、母と私が顔を合わせたらすぐに暴れだすことから、私たち家族は「兄と父が二人暮らしをし、兄が落ち着くまで待ってみる」という選択をしました。
私の名義で母と2人でアパートの部屋を借りて暮らしています。
両親の念願だったであろうマイホームを諦め、別居をするという選択はあまり薦めたくない手段でしたが、「一体何を優先させるか」を考えた結果、私たちは「全員が落ち着いた生活」を優先したのです。
現在、兄はイライラして物に当たる事もなく落ち着き、就職活動に励んでいます。
別居をすることで平穏な日々が送れています。
最後に
「もう無理だ」「こんな生活嫌だけどどうしようもない」と悩んでいる人へ。
どうか挫けないでください。
私自身何年も悩み、毎日怯えながら暮らしていましたが、それでもその中に状況を良くするためのヒントは必ずどこかにあるということを、これまでの経験から深く感じています。
多少の無茶もするかもしれませんし、私のように住んでいた場所からも離れてしまうこともあるかもしれません。
しかし、全員が穏やかに暮らせている今の生活環境を選択してよかったと私は心から思っています。
あなたにとってこの記事が、前進するキッカケになることを願っています。
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